【杏林堂の歴史】

昭和6年頃
(1931年頃)
初代院長 小川晴通が牛込にて開業
太平洋戦争時には衛生兵として従軍
終戦後 世田谷野沢龍雲寺のそばにて開業
昭和29年 港区赤坂田町三丁目(現在赤坂三丁目 田町通り)に治療院を移転
昭和46年 晴通の長男、小川卓良が杏林堂に勤め、鍼灸師への道を歩み始める
<日本で初めてとなる近代的な鍼灸院を開設>
昭和47年
(1972年)
港区赤坂三丁目 一ツ木通り中央にある赤坂KTビルに移転
新築の大型ビル内に53坪の明るい当時としては画期的で近代的な鍼灸院を開設
福田・大平・海部・橋本などの歴代総理大臣をはじめとする政財界の重鎮や、歌舞伎俳優をはじめとする芸能人やスポーツマンが多数来院する
<小川晴通叙勲>
小川晴通は(社)東京都鍼灸師会会長、(社)日本鍼灸師会会長、(財)東洋療法研修試験財団常務理事などを歴任し、後に勲4等を授与される
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※勲4等・・・社会や公共のために功労がある者に授与される勲章で、現在の「瑞宝小綬章」にあたる
<日本で初めて高層ビルに開業>
昭和53年
(1978年)
西新宿の高層ビル街、その中の一つである新宿野村ビルに分院を開院
晴通と卓良が交代で新宿と赤坂を担当する
  
1年後に晴通が新宿杏林堂の院長に、卓良が赤坂杏林堂の院長に就任
昭和56年
(1981年)
杏林堂創立50周年を迎える
平成3年
(1991年)
杏林堂創立60周年を迎える
平成5年までの3年間、新宿杏林堂は東京衛生学園臨床教育専攻科の臨床実習施設を兼ねる
平成6年
(1994年)
晴通が高齢になったことにより赤坂杏林堂を閉鎖し、新宿と併合
新宿杏林堂院長に卓良が就任し、晴通は名誉院長となる(「新宿の鍼灸院 杏林堂」の本格的スタート)
<病院内の鍼灸治療室を開設>
平成6年
(1994年)
赤坂の治療院閉鎖と同時に世田谷区康和会久我山病院内に久我山鍼灸センターを開設
杏林堂のスタッフが常勤し、小川卓良が週2回行き、病院と連携した治療を行う
平成11年
(1999年)
久我山鍼灸センターをスタッフに任せ、小川卓良は新宿杏林堂に専念する
平成13年
(2001年)
杏林堂創立70周年を迎える
「新宿の鍼灸院 杏林堂」が世間に定着し、円熟期を迎える
 
平成18年
(2006年)
杏林堂スタッフの北川美千代が院長代行となる
平成23年
(2011年)
杏林堂創立80周年を迎える
<新宿野村ビル内で移転し、リニューアル>
平成25年
(2013年)
新宿杏林堂の院内設備の老朽化のため、同ビルの同じフロア内の別の場所に移転し、内装を一新
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令和2年
(2020年)
9月26日をもって新宿杏林堂を閉院
<横浜の閑静な住宅街に開院>
令和2年
(2020年)
長年、新宿杏林堂で院長代行を務めていた北川が屋号を受け継ぎ、横浜市青葉区あざみ野南に10月15日より「あざみ野南の鍼灸院 杏林堂」を新たに開院
北川美千代が院長を務め、顧問に小川卓良を迎える