【鍼灸とは】

 鍼灸は東洋医学あるいは漢方医学の一分野として中国に起源をもつ我が国の伝統的医療です。一般に「はり・きゅう」あるいは「しんきゅう」と呼ばれます。鍼灸は、俗にツボと呼ばれる身体上のポイント(経穴)に金属性の細い鍼を刺入したり、皮膚の上にモグサを置いて燃焼させたりすることで、病気やつらい症状を改善させる治療法です。

【鍼灸の歴史】

 鍼と灸は一括りに「鍼灸」と呼ばれることが多いですが、それぞれの起源は少し異なるようです。諸説ありますが中国文明は黄河領域の西安あたりで発祥したといわれ、鍼はそれよりも西方の金属がとれる地方、灸は北方の寒い地方が発祥と教科書的には説明されています。
 現存する最古の医学書として知られる『黄帝内経素問』は今から2100年ほど前の前漢時代に作られたと考えられており、2200年ほど前の王族の墳墓からは鉄製の鍼が発見されています。それ以前の春秋や戦国時代の書物にも鍼灸の記載がありますので、それらから推察される鍼の起源は2800年ほど前まで遡ることができます。また、4600年ほど前の夏王朝の墳墓からも青銅製の鍼に似たものが見つかっております。ですが、これが治療用の鍼か縫いもの用の針か、何に使われていたものかは不明のようです。唐の時代には天子から臣下に授ける命令書の中に「薬石無効」の言葉が出てきます。これは故事成語として今の日本でも「薬石効なく逝去致しました」などと病気で亡くなった方の訃報や葬儀での畏まった挨拶で使われます。この「薬石」とは“薬”と古代中国の治療器具である“石鍼”のことで、つまり医療全般あらゆる手を尽くしたが効果なく…という意味です。金属製の鍼ができるより以前は骨や石を用いて治療を行っていたといわれており、そこまでを鍼の起源とするならば、どこまで遡ることができるのかわかりません。
 対して灸の起源ですが、1991年にヨーロッパアルプスで発見された5300年前のアイスマンは、その後の研究により足のツボに灸をすえていた可能性が高いと分析されています。だとすると、灸の起源はいつ頃? 発祥地はどのあたり?・・・ 無限の可能性が広がります。かつて松尾芭蕉が灸をすえながら旅をしていたように、もしかしたら当時のエジプトやメソポタミアでも当たり前のように旅をするときには灸をすえていたのかもしれません。
 さて、中国では漢以後、様々な医学書が発刊され発展してきましたが、基本的には前漢の『黄帝内経素問』と後漢に完成した『黄帝内経霊枢』に書かれた内容を大きく逸脱したものはありませんでした。明の後半から清の時代にかけて、儒教の影響からか皮膚を触ったり傷つけたりすることを嫌う風潮になり、中国ではおおよそ800年の間、鍼灸が衰退していきました。対照的にこの頃の日本では、鍼灸は独自の発展を遂げ、道具の開発から治療方法まで、いわゆる日本鍼灸の特徴となるものが作られました。
 第二次大戦後、毛沢東による建国が行われましたが、西洋医学を導入しようにも当時の中国には資金も設備も教育資源も何もなく、6億の国民の医療を賄うには鍼灸や漢方薬などの伝統医療を復活させるより方法がありませんでした。そこで、細々と鍼灸を行っていた鍼灸師(老中医)たちを招集し、その知識と技術を集約して「はだしの医者」に代表される多くの鍼灸師を急造させたのは有名な話です。
 当時、首相であった田中角栄氏が訪中された直後、25歳だった当院顧問の小川卓良も中国を訪れております。その頃は中国で行われた鍼麻酔のニュースが世界中に報道された後でしたので、鍼治療の現場を見学することが中国観光の目玉になっていたそうです。ですが、衛生面はもちろん知識や技術もそのレベルは日本に比べて数段落ちるものだったといいます。その後、杏林堂初代院長の小川晴通をはじめ当時中国を訪れた多くの鍼灸師は皆、異口同音に「中国に学ぶものはない」とその感想を述べていたのが印象的でした。
 驚異的に発展した21世紀の中国国内においては西洋医学が普及した結果、鍼灸はマイナーな医療となりつつあるようですが、対外的には覇権主義の一環として鍼灸においても中国式鍼灸を世界標準にしようと様々に攻勢をかけていますので、現在、鍼灸を取り入れている国のほとんどは中国式鍼灸が普及しています。このとき比較的速やかに新たな治療法として多くの国が鍼灸を取り入れたのには中国の働きかけが理由なだけでなく、西洋医学を普及したくても資金・設備・人材がない発展途上国においては中国に学ぶべきものがあったのでしょうし、先進諸国においても西洋医学の発展とともに急騰する医療費や高齢化の問題があったことから、鍼灸をはじめとする伝統医療を見直し、取り入れようとする動きが背景にあったからのようです。

【日本鍼灸の歴史】

 6世紀の初頭、飛鳥時代に仏教伝来と時を同じく渡来したと云われています。鎖国していた時代には日本独自に発展し、中国鍼灸との大きな違いがこの時期にできました。数ある違いの中でも鍼のサイズと刺し方の違いは特に明確で、中国と日本の鍼を区別する際の特徴になります。
 まず鍼のサイズですが、日本は中国に比べて格段に細い鍼を使用しています。これは日本の鍼灸師たちの繊細な職人技といえましょう。次に刺し方の違いですが、日本では管鍼法と言って、鍼を刺すときに鍼管と呼ばれる管を使用します。対して中国では鍼管を使わず、鍼を親指と人差し指でつまみ、すばやく押し込みます。また、日本の鍼は先端の構造が工夫され、松葉型と呼ばれる人体の組織(皮膚・筋肉・神経・血管など)をほとんど傷つけない形になっています。これらはいずれも日本の鍼灸に見られる特徴で、効果の高い治療を追求するだけでなく、治療を受ける患者のことも慮り、鍼を刺されるときの痛みが少なく安全で心地良い治療であるよう心掛けてきた結果であろうと思います。
 このように日本人にあった道具や手法を作り上げ、渡来してより幕末にオランダ医学(西洋医学)が伝来するまでは、鍼灸は漢方薬と共に医学の主流として広く人々に活用されていました。しかし明治初期よりオランダ医学(西洋医学)が少しずつ国民に普及していき、明治7年には日本に近代的な医事衛生制度を導入すべく西洋諸国の医事制度を模範とした医制が制定されました。それによって医学の主流は西洋医学にとって代わり、さらに政府によって鍼灸・漢方は非合法化されてしまいました。このとき鍼灸・漢方が非合法化された理由は政府の欧米化政策によるところが大きいのですが、それ以外にも戦場などで受けた外傷には西洋医学の外科的処置の方が役に立つといった実践的理由から鍼灸・漢方が軽視されたためとも言われています。その後は、鍼灸・漢方の効果が認められ、明治35年に再び合法化されました。
 そして、第二次世界大戦後にはGHQによって鍼灸治療は非常に野蛮であるとされ、一時禁止されたこともありました。しかしながら、当時の鍼灸師や鍼灸を行う医師の懸命の説得と、GHQに実際の臨床現場を見てもらい、その有効性を実感してもらったことで禁止が撤回されたという経緯があります。
 近年では、1971年の鍼麻酔報道をきっかけに、世界中の公的な医学研究所・医科大学・鍼灸大学や医療機関などで科学的な研究がなされ、今日まで鍼灸の多くの効果が証明されてきました。そして現在、鍼灸は西洋医学における医療費の高額化や副作用の問題などの欠点を補う治療法として、また鍼灸の持つ免疫の活性化、血行の促進・改善、恒常性機能亢進などの作用から健康維持・増進が期待できる治療として注目され、米国や欧州では鍼灸の利用が非常に盛んになっており、今ではむしろ日本の方が鍼灸の普及に遅れをとっているという残念な状況があります。

【鍼灸治療について】

 多くの鍼灸院では、患者さんが来院されたら、まずは来院されるきっかけになった症状やその部位、発症の原因・きっかけ、経過など、その他にも色々なことをお聞きします。その後、脈(脉)診・腹診・舌診などの東洋医学的検査を行う鍼灸院もあれば、法的に可能な西洋医学的検査を実施する鍼灸院もあります。そこで得られた情報から病状や体質の診たてを行い、適切と思われる経穴に鍼や灸を施します。
 大まかに言うとこのような治療の流れがありますが、日本の鍼灸治療には西洋医学で策定されているような診療ガイドラインは存在しません。古来より日本の鍼灸治療には流派のようなものが様々にあり、それぞれの鍼灸師が学んできた流派の教えに則って東洋医学的な診たてを行っています。また施術に関しても同様に、経穴の選択、鍼の刺し方・灸のすえ方など、それぞれに良いとされる方法で行っています。つまり、鍼灸師全員に共通した一定の検査手順であったり診立てであったり、いわゆる標準治療と言えるような治療法は無いのが現状です。
 ですから極端な例を挙げれば、鍼を1本しか刺さない治療院もあれば100本以上刺す治療院もありますし、米粒の半分くらいの小さい灸をすえる治療院もあれば親指の先ほどの大きい灸をすえる治療院もあります。治療方針にしても、東洋医学的な腹診や脈(脉)診による診立てのみで決める治療院もあれば、東洋医学的な概念は全く取り入れず西洋医学的な検査による診立てを尊重して神経や筋肉へのアプローチを重視してらっしゃる鍼灸師もおられ、実に多彩です。

【鍼について】

 日本では長さ10mm~150mmの利用頻度の高い17種類を主とし、一般的には1寸(30mm)~3寸(90mm)の鍼が多く使われており、太さは直径0.10~0.50mmの21種類を主とし、一般的には1番鍼(直径0.16)~5番鍼(直径0.24mm)が多く使われています。鍼灸学校では、1寸3分(40mm)ないし1寸6分(50mm)の3番鍼(直径0.20mm)が実技練習に多く利用されているようです。
 中国では直径0.22~0.45mmの鍼が製造され、直径0.28mm(32号)~0.38mm(28号)の鍼が多く使われています。
 このように日本では極めて細い鍼が使われ、中国では日本に比べるとかなり太く、更には長い鍼が使われています。とは言え、病院で採血や点滴に使われる注射針は直径0.6~0.8mm、献血に使用される注射針は直径1.2~1.4mmですから、鍼灸で使われる鍼がいかに細いかおわかりいただけると思います。
 また材質は、かつては金や銀が含有された金属製の鍼を使用していましたが、現在は強度の高いステンレ製の鍼を使用するのが主流になっています。

【鍼術について】

1.切皮

 まず、鍼先で皮膚を破るのですが、これを切皮と言います。切皮は主に管鍼法で行います。管鍼法とは江戸時代の検校であった杉山和一により創始され、鍼管と呼ばれる鍼よりやや短い金属もしくはプラスチック製のストロー状の管に鍼を挿入し、わずかに出た鍼の柄の部分を軽く叩くことにより切皮を容易にし、かつ患者さんにはほぼ痛みを感じさせることなく皮膚を破ることができる日本独自の方法です。
 一部では鍼管を使わず、鍼を親指と人差し指でつまみ、すばやく押し込んで切皮する撚鍼法も行われています。中国で使われる鍼は日本のものより太くて長いので、鍼管を使わない撚鍼法が用いられます。このような特徴を持つ鍼施術を中国鍼と呼んでいます。

2.刺入と手技

 次に、皮膚を通過した鍼は適切な深さまで体内に刺入されますが、その際、鍼灸師によって手技が加えられます。手技には、目的の深さまで刺入し直ぐに抜く“単刺術”、刺入中もしくは目的の深さまで刺入して鍼を上下に動かす“雀啄術”、刺入した鍼を回旋させる“回旋術”、振動させる“振せん術”、刺入した鍼をそのまま10~15分間とどめておく“置鍼術”など、様々な技法があります。
 いずれの方法も鎮痛や筋緊張緩和、血液循環改善などに効果のあることが証明されています。

3.特殊鍼法

 特殊な方法として、以下のような治療法があります。

      1. ① 小児鍼 : 鍼を刺入せず専用の道具で皮膚を摩擦する“摩擦鍼”、接触・押圧するだけの“接触鍼”と呼ばれる施術法があり、生後2週間から小学生の治療にはおおよそこの手法が用いられます。夜尿症・夜泣き・疳虫・風邪予防・気管支喘息・下痢・便秘・仮性近視などの治療に効果があります。
      2. ② 灸頭鍼 : 置鍼した鍼の柄の部分に球状にしたモグサを差して燃焼させることで、鍼の機械的刺激と灸の温熱刺激を同時に与えようとする方法
      3. ③ 低周波鍼通電療法 : 刺入した鍼を電極にして低周波の微弱な電気を通す方法
      4. ④ 皮内鍼 : 鍼の柄がリング型や平軸型になった3~9mmの細く短い鍼を皮内に水平に刺入し、テープで固定して長期間留め置き、持続的な刺激を与える方法
      5. ⑤ 円皮鍼 : 画鋲状になった1mm程度の短い鍼を垂直に刺入し、テープで固定して長期間留め置き、持続的な刺激を与える方法
      6. ⑥ 吸角療法 : ガラスあるいはプラスチック製のカップの中を陰圧にし、身体に吸い付ける方法

 その他にも、耳鍼・頭鍼療法・イオン鍼・刺絡など、様々な特殊な鍼施術の方法があります。

【灸について】

 灸に使われるモグサは、草餅などに使われるヨモギの葉から作られます。ヨモギの葉を乾燥させ、石臼で引いて篩(ふるい)にかけ、唐箕(とうみ)と呼ばれる風力装置でヨモギを飛ばして不純物を取り除きます。この時、不純物を限りなく取り除き、ヨモギの葉の裏に密生している白い毛の成分のみにしたものが良質なモグサとされ、香りが良く、不純物の多い粗悪なモグサに比べると燃焼時の温度が低いので刺激が穏やかだとされています。
 また、モグサには揮発性の精油が含まれています。精油の主成分はチネオールといい、モグサを燃焼させたときに独特な心地良い香りを放ちます。実験的にモグサが燃焼する際の温度曲線と同じになるよう機械式の灸を作り刺激をしても、モグサを使った場合と同じ効果が得られないことから、灸の効果はただ熱刺激によるものだけではなく、モグサの香りによるアロマテラピー作用や、モグサに含まれる何らかの成分が身体に染み込むことによる作用が関与しているのではないかと考えられています。

【灸術について】

 灸とは、モグサを用いて経穴に熱刺激を加える方法で、地域によっては「やいと」と呼ばれることもあります。その方法は、モグサを直接皮膚上で燃焼させ灸の痕を残す“有痕灸”と、灸の痕を残さない“無痕灸”の大きく2つに分けられ、次のような種類があります。

1.有痕灸

 良質のモグサを糸状~米粒ほどの大きさの円錐形にし、直接皮膚上で燃焼させる“透熱灸”や、イボやウオノメを灸の熱で焼き切る“焦灼灸”、親指の先ほどの大きなモグサを直接皮膚上で燃焼させ火傷を作り、その上から膏薬を貼り付けて化膿させることで免疫細胞の活性化をはかる“打膿灸”などがあります。

2.無痕灸

 米粒ほどのモグサを直接皮膚上で燃焼させ、患者の気持ち良い熱さで消火あるいはモグサを取り除く“知熱灸”、モグサを皮膚から距離を置いて燃焼させ、輻射熱で温熱刺激を与える“温灸”、皮膚上に生姜・にんにく・味噌・塩などの介在物を置き、その上でモグサを燃焼させる“隔物灸”などがあります。その他、モグサや火を使用しない機械式の灸なども考案されています。

 皮膚上でモグサを燃焼させる有痕灸は、昔から日本で盛んに行われてきた施灸法で、豊臣秀吉をはじめとする戦国武将たちが健康のために日頃から灸をすえていたことや、松尾芭蕉が奥の細道で三里のツボに灸をすえながら旅をしたことはとても有名です。しかしながら日本以外でこのような灸施術を行っている国は非常に限られており、中国では体にのせた箱や筒の中でモグサを燃やして中の空気を熱し患部を温めたり、タバコのように紙でモグサを巻いて棒状にしたものに火をつけ皮膚に近づけたりなどの温灸が行われています。最近は灸の痕が残ることを嫌がる方が多くなったので、日本でもあまり有痕灸は行われなくなってきましたが、免疫活性に非常に効果のあることが証明されていています。