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会頭講演7

<GHQにより鍼灸は禁止されるところだった>

前回の会頭講演の中で、物理的刺激よりも化学的刺激の方が科学的に見える、書きましたが、機械的刺激である鍼治療と熱刺激である灸治療よりも、科学的刺激である薬(化学物質)の方が科学的でかつ治る可能性が高い、というように理解する人が多い、という意味合いであります。鍼治療や灸治療は確かに野蛮な治療という認識を持つ人は多く、実際に戦後GHQのマッカーサーは「鍼灸治療は野蛮なので禁止する」と、一時宣告したくらいです。

 

<種々の物理的刺激に対する応答も多様であることがわかってきた>

 生体に影響を与える刺激という意味では物理的刺激も化学的刺激もまったく同様です。刺激の与え方が違うだけです。しかし、化学物質は非常に多様ですし、化学式に表せるので科学的でより精緻な気がします。しかし、近年になり熱刺激や機械的刺激に対する受容器も温度や侵害度合いにより様々あることがわかり、その刺激に対する応答も色々温度や侵害度合いによりかなり多様な変化をすることがわかってきました。もちろん場所(経穴)の問題は当然ありますが、それ以外にベテランの鍼灸師は患者さんの個人差や体調の変化に合わせ経験的に刺激量を変える技術を身に着けているのですが、それが科学的な根拠があることがわかる可能性が出てきたのです。

 

<GHQは実際の治療を見て、その効果を確認して禁止令を取りやめた>

 文明が進んでいた当時の米国人から見たら、鍼灸は野蛮な治療と思うのも当然のように思えます。しかし、喘息や夜尿症などが鍼灸治療で治る現実を見てプラグマティズムの国らしく、その根拠とする科学的背景(メカニズム)がなくても、現実に治るものは良いということになり、鍼灸師は業としての一命をとりとめたのです。この考え方はまさに現代のEBMに通じる考え方です。

 

<会頭講演より続き>

2、デカルト科学の特徴

 近代科学の基礎を築いたルネ・デカルトの科学論は例外なく全てに通じる「普遍的」であること、そして理論を構築できる「合理的」であることを目標に、全ての人がその事象を共有できる「客観的」であること、そして同条件であれば実験で確認した事項を誰でも再現できる「再現性」を指標とすることを提唱した。

 その研究課程は「分析的」であり、「臓腑」から「細胞」、「分子」へ、或いは「内科」から「胃腸科」そして「胃癌専門」さらに「スキルス専門」というように分科していく特徴がある。本質を追及していく、或いは学問するという意味の「Science」を「分科学」さらには「科学」と和訳した先人はまさにデカルト科学の本質をついている。

 このように、より細かく分析していく方法が「要素還元主義」であるが、要素に分解して部分を理解しても、それを「還元」して全体を理解することはほとんどされていない。すなわち人間全体を診て部分的には理解したが全体を理解し治療するということは行われてない。食欲がなければ内科で、目の疲れは眼科、腰が重いのは整形外科と言うように分科したところで部分だけを診るのが西洋医学である。(つづく)

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