(公社)全日本鍼灸学会の副会長退任

 院長の小川卓良は、長年全日本鍼灸学会の常務理事・副会長を務めてまいりましたが、本年5月16日の総会を持って退任(理事への立候補を辞退したことにより)しました。下記の文章は全日本鍼灸学会誌64巻2号に掲載された「巻頭言」です。

 

会員の皆様 長い間ご協力ありがとうございました。

業界の発展無くして己の発展は有りません。

若い人達の今後の活躍に期待します。

小川 卓良

(前)(公社)全日本鍼灸学会 副会長

  私が本学会に関わり、東京地方会の仕事をお手伝いしていた頃は今と違って、役員選挙もなく、きちんとした議事録の公開、或いは会議資料の事前配布などが行われていませんでした。本学会を開かれた学会、民主化などを目指そうとする若手有志が石川県赤穂谷に集結したのは20年ほど前でした。その中には、現会長の後藤修司先生、30代より長年理事を務められた井上慶山、木下滋両先生、評議員を長年務められた高田外司、川本力雄両先生のお顔がありました。後藤会長を除き、皆様既に役員を引退されており、時代の変遷を強く感じます。関東甲越支部においても当時の浜添圀弘支部長、残念ながら本年4月に他界された妹尾匡躬副支部長(現学会監事)のご指導、ご支持の元に本部理事に送り込んでいただきました(この頃やっと評議員の要望で理事は選挙になった)。理事になってからは井上、木下両理事らと共に協力して学会改革に取り組んで参りました。

 山村秀夫会長に組織部長を命じられ、この時に名簿を作ったのですが、何度も校正し自信を持ってデジタルデータで渡した原稿通りに作成したという印刷業者の言葉を信じていたら、一部原稿に全くない内容になっていたり、古い名簿のままであったりして会員諸兄に絶大なるご迷惑をかけたことが思い出されます。この時に たとえデジタルデータでも印刷は原稿通りには行われないということを初めて知らされました。

 丹澤章八先生が会長になられた時に総務部長になり、最初の仕事が理事会の昼食費を半分にしたことと学術大会時の理事の交通費の支給を無くしたことでした。理事は特別扱いされるものではないと思うからです。また、この時に学会の認定制度が発足しました。そして総務部長として初めての理事会と最初の認定委員会の前夜に私の父が亡くなりました。会議を仕切りながら、度々かかる電話の応対で大変な想いをしたものです。

 矢野忠会長になられ財務部長に就任したところ、前財務部長の不正を発見したのでした。監事時代に、日本鍼灸師会、全日本鍼灸マッサージ師会、東洋療法学校協会と本学会の鍼灸業界4団体による鍼灸医療推進研究会の立ち上げに努力し、各団体が個別に行動するのではなく団結して鍼灸業界のために行動することが出来るようになりました。後藤会長になられた時に副会長を拝命しましたが、この時は、各部長の仕事を減らして事務局を充実することに努力しました。その結果、私が組織・総務・財務部長時代にした仕事、学術部長、広報部長など各部長の仕事の多くを事務局に移管しました。そして、引退した福村事務局長や安藤文紀理事や津田昌樹理事などのご努力で、公益法人化にもこぎ着けました。

 学会も国際化の波にのまれ、ISOなど諸問題に直面し、国際面にも多くの予算を投じる必要が出たり、事務局の充実、公益法人会計化、会員が求める研究に要する費用等の出費がかさみ、数年で内部留保が枯渇してしまう事態を迎えました。予算の効率化が急務になったわけですが、それは今後の学会活動方針をどうするかという問題と等しくなります。そのためにグランドデザイン検討委員会を立ち上げ津田・福田文彦・山下仁理事ら40代中心の会員にその仕事を委ねました。昨年度答申が出て、今年度からそのデザインに基づいた事業計画策定の委員会も発足しました。これで後顧の憂いはなくなり、同じ者が長い間役員になるべきではないと常々思っていたので立候補を辞退しました。長すぎたきらいもありますが、会員諸兄のご協力を感謝し、若い人達の今後のご活躍を大いに期待します。

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