(社)全日本鍼灸学会 副会長 小川卓良
明治国際医療大学 川喜田健司
<プラセボ効果とは> さて、この結論の「鍼にはプラセボを上回る効果はない」ということであるが、そもそもプラセボ効果とは何かという問題がある。 本書では、プラセボ効果をうまく引き出せる場合とそうでない場合があるとし、プラセボ効果を高めるには、1.医師の評判が高い(カリスマ性や肩書きがある)、2.治療費が高い(高価な器具を使う)、3.治療法が目新しい(特殊な治療)が、非常に有効であるとし、あたかもプラセボ効果を高める行為自体が「悪」とするきらいがある。そして、プラセボ効果が得られるのは患者がその治療法や治療者を信頼している場合だけであると述べている。よって、プラセボ効果を高めるには患者の信頼や好意を得るようにしなければならないと述べているが臨床家にとっては至極当然のことである。 ただ、臨床はともかく「鍼は有効か?」を検討する場合にはこのプラセボ効果を無くすようにしないとならないが、無効な偽鍼を創ることが長年の大きな問題であったのである。欧州での偽鍼はドイツでの大規模臨床試験でもそうであるが、浅い鍼或いは経穴をはずした鍼或いはその両方が使われる場合が多く、その他には爪楊枝のような圧刺激のみの偽鍼を使用する。しかし、全く無効な偽鍼を創ることは非常に難しい問題であって、通常行われる鍼の臨床実験での偽鍼もそれなりの有効性を持っているので、真の鍼との差は少なくなり有意な差とならない可能性は高い。そして、ドイツの大規模臨床試験では、膝OAでは有意に、他の疾患では有意でないものの全て真の鍼の方が偽鍼よりも効果は上回っていたのである。よって、ドイツの大規模臨床試験では偽鍼も有効であり、かつ真の鍼の方が偽鍼よりも有効であった場合もあるので、「質の高い研究に絞ってみても」という部分に明らかな誤りがある。 7、結論の4は1997年のNIH報告で吐き気やある種の痛みに対して鍼の有効性を認めたことを意識して「幾つかの痛みや吐き気には鍼を支持する質の高い論文もあるがその逆の論文もありどちらともいえなく、コクランレビューを例にとって近年質の高い研究が多く得られるほどむしろ否定的になっている」というものである。 しかし、実際には最近の質の高い臨床試験が加わるにつれて、最新のコクランレビューにおいては、鍼の効果について肯定的な結論が出されている。慢性腰痛に関するコクランレビューをみてみると、1999年の報告では、鍼の有効性については臨床試験の質が低いために明確な結論は出されなかった。その後、2005年の改訂では、鍼治療は、無治療または偽鍼治療に比べて、治療直後と短期追跡期間において、痛みを軽減し機能を改善するというエビデンスを認めている。最近の臨床試験の成績を加えた系統的レビューとメタ・アナリシスを行うことで、鍼の効果についてのエビデンスは徐々に強まっているのが現状であり、本書のこの結論は誤りである。 8、「有効性を示すRCTがあるのだからそれを無視してはならない」という反論に対し「その逆の結論を出す論文があり、双方の重みを考えると鍼は効かない」と断じた。 この中で本書を印刷に出す直前(2008年)に発表された米国のダニエル・チャ-キン氏の慢性腰痛の研究に言及し、「この研究では偽鍼も真の鍼も変わらない効果があり、鍼治療は強力なプラセボに過ぎないという見解を支持している」と断じたのであった。この研究では確かに真の鍼と偽鍼(刺入しない爪楊枝)の効果に差がないとしているが、決して鍼効果がプラセボに過ぎないと結論しているわけではない。 この研究結果では「偽鍼も真の鍼も西洋医学の通常医療より優れている」とし、考察では「鍼治療は有効で安全であり、慢性腰痛患者に対しては他に優れた治療法がないので、鍼治療が依然として妥当な治療法であることに変わりがない」と述べているのである3)。本書が依拠している論文では論文の選択バイアスのみならず、選択した論文の内容面においても都合の良い部分だけを引用しているといわざるを得ない。 図3はチャーキン氏の研究の模式図で、640人の慢性腰痛患者を無作為に160人ずつ個別化鍼治療群、標準化鍼治療群、刺入しない経穴刺激群(標準化鍼治療群と同じ経穴)及び西洋医学の通常治療群の4群に無作為に分けて検討し、個別化鍼治療と標準鍼治療と刺入しない偽鍼の間には治療効果に差がなく、西洋医学の通常治療群には3群共に有意な差があったというものである。チャーキン氏の共同研究者であるK.J.シャーマン氏は個別化治療と標準化治療の効果に差がないこと、及び標準的経穴への刺入群と無刺入刺激群の差もないことは、前者は経穴に無関係、後者は鍼刺激も圧刺激も同じとなりEBM学者の立場からは鍼治療効果はプラセボ効果にすぎないという結論を支持することになるとのことである。通常医療よりも効果が高かったのは、標準治療群以外の3群の患者に与えられた治療時間と手当効果と考えられるかもしれない、という見解を述べている4)。 しかし、シャーマン氏は他の二視点からの考察も試みている。一つは伝統的東アジア鍼灸の視点で、「指圧・接触鍼・電気刺激・レーザー等鍼以外の治療法や鍼でも表皮から深部に至る迄様々な深さに刺鍼し、経穴以外に触診で見つける点や圧痛点等を使うため、経穴と非経穴の効果に差がないのは驚くべきことでない」と述べ刺激の質或いは経穴に関わらず治療を行えるので、プラセボ鍼はあり得ない、との見解も示している5)。神経生理学的な視点からみても、浅い鍼でも様々な侵害受容器が興奮するし、鍼を刺さなくとも皮膚のポリモーダル受容器が興奮するので、神経生理学的視点でもこの見解は指示される。 しかし、鍼灸治療を行う立場では「鍼をしても、鍼を刺入しないで手で触れても、また経穴でも非経穴でもどこでも効果は同じ」という結論は支持し難い。 また、もう一つの全機性医学の立場から、「鍼灸医療は、独自の診断体系を持ち、刺鍼以外の様々な治療要素や生活・養生指導を含んでおり、西洋医学と全く異なる理論的方向性をもつ」と述べ、更に「RCTを行う際には、患者と施術者の関わりを制限し、また治癒に向けて患者に教育や支援をするために施術者が使用可能な治療手段を実質的に制限した」とも述べ、臨床上では極めて不自然である、とも述べている4)。要するに、鍼灸医療は現病歴の他、主訴と無関係な一般健康状態を問うたり、脉診や切経等の触診を行って西洋医学と違う診断方法(治療の一環となる)や様々な刺鍼法及び施灸・皮内鍼・刺絡等刺鍼以外の治療法、或いは長い治療時間を利用しての信頼関係を深める会話、生活や養生法の指導等広範に広義の治療を行っているのに対して、RCTの際にはそれらを制限せざるを得ないので本来の治療効果と違うかも知れないということである。 それはともかく、本書で鍼治療については効かないという論文の重みの方が強いという主張の根拠としたチャーキン氏の論文を見る限り、そして標準治療よりも偽鍼も真の鍼も有効であった事実だけを見てもこの論点はおかしい。図4は、これを模式化したもので、プラセボ効果と真の治療効果がある標準治療群より真の鍼群、偽鍼群の方が強い効果があるが、この部分の効果を本書の著者は何と呼ぶのであろうか? trick-fig1
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