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症例から学ぶ悪性疾患の鑑別法-その23

・・・・キーワード11「癌の可能性が高い。貴方ならどうする?-7」・・・・
 6回前からは悪性疾患の可能性が高い患者を目の前にした時の鍼灸師の対応について考えていて、今回はその7である。まず最初に次の症例をから考えてみたい。この症例は原稿を書き始める直前の平成18年6月30日が初診である。
<TOS? それとも肺癌?>
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<症例47> 男性 37歳 会社員 170cm 67kg 飲酒2~3/週 喫煙20本/日20年 体重変動特になし
昨日の午後から急に思い当たること無しに右頸から肩にかけて痛くなってきた。
 右肩のROMは挙上(屈曲)∠110°(+鎖骨付近)、外転∠110°(+巨骨付近)、後挙(伸展)(-)だが肩関節を回すのは辛い。頸ROMは左回旋で右頸が痛む(引っ張られる感じ)が他は痛まない。ルーステスト(-)、モーレーt(-)、中斜角筋部圧痛無し、右鎖骨下に著明な圧痛がある。
 この痛みは、初めての経験であるが以前より何となく気にはなっていた(痛まない)。昨晩は痛みで眠れなかったが、睡眠はそれまでは良好で食欲便通なども問題ない。飲酒も大酒のみではなく、普通だと思う。昨年の定期健診では胃潰瘍を指摘され服薬して現在は良好で他の異常は何もない。17年前にスキーで右膝の靱帯を切ったが現在日常生活には全く問題ない。
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 この症例は、急な発症であるが、以前より何となく気になっていたということで階段状の悪化の可能性も否定できない。また、肩関節の挙上制限はあるものの挙上の方向により痛む部位は一定でないので局所の炎症は若干考えにくい。しかし、小胸筋部(鎖骨下部)に著明な圧痛があり、小胸筋症候群(過外転症候群)の可能性が示唆されるが、ルーステスト(-)であるし、外転時に腕へのしびれや放散痛はなく巨骨付近に痛みが出るということ、及び職業も通常のデスクワークなので小胸筋症候群の可能性は低く、むしろ肺癌(パンコースト腫瘍)の可能性の方が高いと思われる。ただ、夜間痛はあるが、本シリーズその5で示したように「癌の夜間痛」の定義というより、痛みが激しく安静時にもあって眠れないという可能性も高い。
 ブリンクマン指数は400で肺癌発症のリスクは高いし、週に2~3回飲酒するということで少し多めにみるべきなのでよりリスクは高いと考えられる。また、20年前からの喫煙ということは17歳からの喫煙ということで、喫煙開始年齢が若いほど肺癌発症リスクは高いということがわかっているので益々その可能性は高くなる。しかし、だからといって肺癌の可能性は前回の症例44迄は高くない。よって、症例44の時よりは癌の可能性があることを話易い。しかし、37歳という若さであるし、初診患者でかつ紹介者もいないので、びっくりさせたり、大口たたきみたいに思われるのが嫌だったので少し経過を診ることにした。症例44もそうであるが、この症例も「もし肺癌であるならば、助かる可能性はかなり低い」のでいい加減な死刑宣告?はしたくないのは当然である。
 ただ、肺癌以外にどんな病態が考えられるかというと実はかなり難しい。小胸筋症候群は前述の通りであるし、その他のTOS(胸郭出口症候群)も男性で中肉中背、上肢症状がないことなどから考えにくい。頸椎症も肩関節のROM制限があることや鎖骨下の圧痛が著明、頚部ROMも左回旋の右頸の引っ張られる感じの痛みということで考えにくい。
 心臓由来はもっと考えにくいし、腹部臓器由来もあり得ないと思われる。心因性の可能性もあるが、可動域制限や局所の圧痛は通常無いし、心因性で不眠はあっても痛みのために眠れないということはほとんど無い。DMなどの代謝障害も可能性を否定できないが、神経障害などは末梢優位なこと、片側性、37歳、肥満ではないなどこの場合可能性はかなり低い。消去法(除外診断)でも肺癌が浮かび上がってくるのである。
<症例47の経過>
第二診:次の日(7月1日)に来院し、昨日よりは大分楽になったとのことで、かばっているせいか今度は右腰も痛くなってきたとのこと。挙上∠120°(+) 外転∠120°(+)で痛む場所は同じ、右鎖骨下の圧痛もまだある。
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 大分楽になったということで、癌の可能性が薄れたかの印象を持たれる方が多いと思われるが、次の症例をみていただきたい。
<末期癌でも鍼灸治療で劇的に症状が改善することは珍しくない>
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<症例48> 女性 70歳 背は低く150cm位で小太り 末期癌で告知されてない
 この患者さんは、K病院に癌性の腰痛(腰椎等多数転移)などで入院していて、K病院内にある鍼灸センターに往診の依頼があった。ベッド上で痛みのために1cmも身体を動かせないので、このままでは床ずれがひどくなるということであった。消炎鎮痛剤も無効で、麻薬類の投薬は躊躇しているという状況で、告知はされてないものの明らかな末期癌である。治療後すぐ身体を動かせるようになり二診目からは車椅子で鍼灸センターまで来院できるようになった。経過は順調で数回の治療後からは一人で歩いて来院できるようになった。
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 癌性疼痛の場合、本症例の他に本シリーズその13で報告した<症例24>もそうであるが、1回の治療で劇的な改善をする場合が少なくない。しかし症例24もそうであったが、症状は劇的に改善したからといって「治った」わけではない、ことに注意をする必要がある。
 よって、症例47も改善したからといって、癌の可能性が無くなったわけでも、薄くなったわけでもないが、良くなったから故に癌の可能性が高いことを当の患者さんに告げることは益々困難になったことも事実である。
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<緩和ケア(ターミナルケア)での問題>
<症例48の経過>
 この症例48には後日談がある。痛みが改善してQOLも良くなってきたので、「もしかして(多分、ほぼ確実に)この痛みの原因は癌でもう助からないのかもしれない」という不安や恐れが、徐々に薄れ「鍼灸治療で良くなるのだから、癌ではなく私は助かるのではないか」という想いが出てきて、当の患者さんは明るくなってきたのである(症例24と全く同様)。しかし、鍼灸治療は有料であることから家族に遠慮して、当初毎日の治療が1日おきになり、週1回になった頃から又悪化し始めた。しばらく来院しないので病棟に様子を伺ったところ、何と自殺未遂をしたということで、モルヒネを投与して眠らせているということであった。最初の往診から2~3ヶ月後くらいのことである。要するに一度「治る」という夢を見たが、結局悪化したので当初「もしかして」ないし「多分・ほぼ確実に」の気持ちから「完全に癌だ」ということを実感して、不安を超えて絶望の縁に陥ってしまった、ということである。
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 この症例と同じ頃に全く同様の経験をK病院でして、2例重なったこともあって、本シリーズ17に書いたようにK病院のターミナルケア勉強会を辞したのである。鍼灸治療で症状を軽減して苦しむ末期癌の患者を少しでも楽にすることは当然良いことであると思われるが、この症例のように所詮治せなく更なる絶望を与えてしまうこともあることが辛かったのである。ターミナルケアではなく、患者に告知して一緒に治す努力をする方がどんなにか楽であるし、有意義である。しかし、全く治せないのでは詐欺同然であるが、本シリーズ21に書いた症例42のように複数転移癌でも完治することもあるし、その他でも良くなったり、相当の延命になったりしている症例が多数あるので決して無効ではない。ただ、充分な患者さんとのインフォームドコンセントが重要であるが、鍼灸治療の適応や有用性を説明する時には、鍼灸治療におけるエビデンスと対抗する西洋医学でのエビデンスを比較検討する必要があるので、その充分な情報が必要である。しかし後述するが、残念なことにきちんとした情報はその両方とも無いのが現状である。
 しかしながら、数年前までは癌の治療に対して、鍼灸治療を西洋医学治療と同等に比較検討しようなんてことは鍼灸師サイドでも毛頭考えられなかった。ましてや医師は当然である。西洋医学にエビデンスが無いというのは、一つには「治る可能性のある癌患者に対して対照群として治療をしないことやエビデンスのない代替医療に委ねるということは倫理的に大問題である」という考えが医師や医学者の中に当然のごとく有るからである。その上、現在では臨床試験(治験)をする場合に対象となる患者さんに充分なインフォームドコンセントをする必要があるので、これからする治療の半分は効かないうどん粉の類ですと説明するとほとんどは拒否するのが現状ということであって、症例も集まらないのである。しかし、だから故にエビデンスがないのは西洋医学も同じなのである。
 下記の文章は本誌上で連載した拙著「EBMってなあに-その3」からの引用である1)。
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 臨床家としてEBMの実践をしてきた愛知県昨手村国民保険診療所の名郷直樹氏(現在横須賀市立うわまち病院研修センター長)は、プライマリ・ケア誌で「EBMと代替医療の関係は?」という問いに対して以下のように答えている。あまりに衝撃的な回答なので全文を引用させていただく。
 「EBMと代替医療というとき、まず思い浮かぶのは、代替医療をEBMの手順で評価するとどうなるか、あるいは代替医療をEBMの手順でそもそも評価できるのか、ということかもしれない。しかし、筆者自身のEBMの実践の経験からいえば、そのような問題は今後大きな問題となってくるにせよ、現状ではあまり問題にならない。鍼や漢方など、ごく一部のものを除き代替医療の大部分のものはEBMの手順でほとんど評価されていないからである。
 EBMを実践しつつある中で、EBMと代替医療について明確に自覚されたのは、西洋医学も、EBMの手順で評価すると代替医療と何が違うのかよくわからないということである。あえて違いをあげるとすれば、有効であるという確たる根拠がないことが明らかになっている部分が代替医療よりも多いということが最も違うところかもしれない。代替医療は有効だという根拠もない代わりに有効でないという根拠もない。
 風邪に対して抗生物質が有効だという明確な根拠はない。逆に大きな効果はないというかなり明確な根拠がある。風邪のときに首にネギを巻くという医療が有効だという根拠はないが、有効でないという根拠もない。加えて首にネギを巻く副作用というのはあまりないだろうが、抗生物質にはかなりの割合で副作用がでる。EBMを通じて明確になったことは、風邪に抗生剤を投与するという医療が、場合によっては首にネギを巻く医療に劣るかもしれないということである。EBMが代替医療を西洋医学まで引き上げるどころか、EBMにより西洋医学が代替医療と同じ土俵まで引きずりおろされた、それが私の実感である。
 患者にとって何が一番良い医療なのか、それには西洋医学も代替医療も関係ない。患者にとって良い医療が良い医療である。無効であることが明らかな西洋医学の治療をするくらいなら、効果が不明でも副作用の少ない代替医療、例えば首にネギを巻くような、そのような医療を選ぶ患者がいる、それは当然のことである。EBMによってあらゆる医療行為が相対化される。そしてその洗礼を真っ先に受けたのが西洋医学である。EBMによって相対化された医療はもはや西洋医学であるからといって信じられるものではない。代替医療も西洋医学もEBMの前では同じであるということが明らかになった、それが私の中でのEBMと代替医療の関係である。こうした思いは私の中ですでに逆説的なものではない。
 “Do no harm,(害のないことをせよ)”そこにすべての原点がある。EBMの深みにはまればはまるほど、代替医療の深みに陥る患者を決して笑うことが出来ないと強く感じている今日この頃である。」2)
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 そうなのです。西洋医学が癌に対して無効ないしそれほど有効でないというエビデンスは沢山出てきているのですが、有効というエビデンスはそれほど無い。そして、鍼灸治療が有効というエビデンスもあまりない代わりに無効というエビデンスもないということでもある。そして、抗癌剤と放射線治療及び郭清手術の副作用や問題点は幾らでもあるのですが、鍼灸治療での問題点は、抵抗力が落ちた末期癌患者への消毒と灸痕部での化膿の問題以外にほとんど無いのである。
<症例47の更なる経過>
 症例47についてはリアルタイムで書かさせていただいている。二診の二日後に予約をしていただいたが、都合で来院せず三日後に変更になった。
第三診:7月4日
 ずいぶん良くなり、2日前から夜間も全く痛くなくなりぐっすり眠れた。初診時の夜も前夜よりは楽にはなったが、痛みで時々覚醒していた。右肩関節の屈曲と外転はゆっくりならば180°まで挙上できるようになった。腕を下ろしている時に引っ張られる感じがして肩関節上部の僧帽筋前縁部にピキピキと力が異様に入っているのがわかる。また、不意に腕を動かす時には肩上部と鎖骨上窩部が痛む。右腰は前回より良いがまだ痛い。
右鎖骨下部の圧痛(±)、右モーレーt(++上腕まで放散)
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 圧痛部位が動いている。初診時になかった鎖骨上窩の圧痛が著明になり上腕まで放散し、鎖骨下部の圧痛がかなり和らいでいる(初診時は声を出すほど痛んだ)。これは何を意味するのか。筋や腱の炎症が移動するとは考えにくい。筋緊張の変化により中にあって筋肉に接していた何かが移動したことは考えられなくもない。
 また、外傷の可能性は0でないので、再度この2週間くらいで転んだり何かにぶつけたり、酔っぱらったりしたことはないかとお尋ねしたところ、全くないとのことで、本人も全く思い当たらないようだ。
 治療の度に良くなっているので無罪放免にしたいところだけども、前述のように明らかな末期癌でも治療の度に良くなるので、これだけではまだ無罪放免はできないし、症状もまだ完全になくなったわけではない。そこで、もう少し経過を診てきちんとした対応をすることにしたが、原稿の締め切りがあるのでその後の経過と対応については次号に。
<先月の宿題>
 紙面の関係でこれも次号にします。
<次号までの宿題>
 読者諸兄の頭の体操のために次号までに問題を出しますので、ご検討下さい。この症例は、本シリーズに登場いただいた齋藤晴香氏が私の診断力に挑戦してきた問題であります。
 このように読者諸兄に於かれましても、面白くためになる症例がございましたらどしどしお送り下さい。私の勝手な判断ですが、良いと思われる症例はどしどしこのシリーズでご紹介したいと思います。
<症例49> 72歳 女性 155cm 46kg 元レコード歌手で現在カラオケ教室の講師 体重変動なし 喫煙なし(職業柄嫌煙家) 飲酒なし 血圧150前後/90前後
初診)平成16年1月27日
主訴)腰下肢痛(足のしびれ)、肩こり
既往歴)平成15年7月、腰椎圧迫骨折
年に数回、ひどい眩暈で救急車を呼び入院する。眩暈がひどく最近まで入院していた。腰痛・肩こり、不眠等で整形外科、内科、耳鼻科など病院へはずっと通っている。今回鍼灸院は初めてで、カラオケ教室の教え子に、腰と肩がつらそうで姿勢も悪いと指摘された後、当院を紹介され来院した。脳のMR、CTは数回して異常なし。
所見)左斜角筋のこりが著明。両肩が岩のようにゴリゴリ硬い。腰部・股間節周囲の圧痛(+)
治療)週1回の治療を3ヶ月行い、腰下肢痛が改善。足のしびれも軽減し、血圧も115/70と落ち着いてきたので、治療頻度を隔週にし7月末まで3ヶ月続けたところ、眩暈もましになり、肩こりの自覚症状も少なくなった。ラジオの番組を持つことになったという都合もあり1ヶ月後の8月末に1回治療。その後1ヶ月後に予約をしていたが、予約当日、本人より「事情で行けなくなった」との電話があり治療をキャンセル。後日、カラオケ教室の教え子からどうなったかを聞いた。

1)小川卓良「EBMってなあに-3」医道の日本誌平成12年6月号 2000
2)名郷直樹「Q6:EBMと代替医療との関係は」プライマリ・ケア誌 プライマリ・ケア学会 Vol.23 No.1 mar 2000

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