レポート

鍼灸の安全性について 2012.2

1.はじめに
 鍼灸は、通常の方法で治療が行われていれば、安全性の高い治療だが、保険支払い対象となる事故も少なからず発生しており、時には死亡に至る重大な事故もある。
 図1は、1976年から1998年までの23年間に、鍼灸あんまマッサージ指圧の臨床上の事故などに対して、日本鍼灸師会会員が賠償責任保険で支払いを行った件数をグラフにしたものである。支払い件数は、合計610件(年平均26.5件)、支払い総額260,141,815円(1件平均43万円)であった。610件のうち、鍼灸439件、手技121件、管理上の問題は50件であり、この23年間保険支払い対象となった件数は年間平均25件と横ばいの傾向にある。1)
 (図1)

 図2は、保険金支払い件数ではなく、医療における事故発生数を訴訟数でみたグラフである。図1と同じ23年間に医療過誤訴訟新受件数(毎年新たに発生する訴訟件数)は平均380件、未済件数(決済できなかった件数)は平均1,587件で、毎年増加の傾向にある。1)
(図2)

 以上の2つのグラフから、次のことが考えられる。
 医療訴訟の増加から、患者の権利意識が高まり、泣き寝入りをしなくなっていることが伺える。そのような風潮の中で医療訴訟が着実に増加する一方、鍼灸では横ばいになっている。これには、今までの銀鍼や金鍼よりも強度の高いステンレス鍼が開発されたことで、折鍼事故が減ったことが1つ理由に考えられる。その他、使い捨て鍼が開発され、その使用を学校教育で取り入れ、次世代の鍼灸師の意識から変えていったことや、鍼の頻回使用をやめるよう啓蒙活動を行った鍼灸界の努力によって、同じ鍼を何度も使用することで鍼が劣化したり、パルス通電のクリップを挟む部分が腐食したりすることが原因で起きていた折鍼事故が減ったことも考えられる。更には、例えばかつて行われていた水銀塗布や内臓直刺、埋没鍼など、その時代時代で問題にされた事案について、出された結論を鍼灸師に広める活動を行ってきたことや、学校教育に解剖学・生理学など現代医学を積極的に取り入れ、安全な刺鍼についての教育がされてきたことなど、鍼灸界を牽引する先生方のご努力があったればこそではないかと考える。
 ただし、鍼灸治療で起こる過誤には命に関わるような重大なものが少ないため訴訟になりにくいが、医療で起こる過誤には重大なものが多く含まれるので必然的に訴訟になりやすいといった違いが考えられるし、鍼灸治療は治療時間が長く、患者と治療者が親しくなっていることから、過誤が起きても話し合いの結果、訴訟にいたらないことなども考えられる。
 また、図2のグラフを1984~1988までで見ると、医療過誤訴訟新受件数は2倍に増えている。それに対して、未済件数は1300件から2800件と1500件増えている。ということは、新たに起きた訴訟のうち1/3~1/4は、未解決として積み重なっていっていると言える。

2.医療過誤
 医療現場で医療の全経過において発生する全ての事故を医療事故と言うが、この中で医療従事者(鍼灸師)に過失があるものを医療過誤と言う。その際、治療による副作用も医療過誤と判断される場合がある。当然のことながら純然たる副作用は医療過誤とは見なされないが、患者特性を考慮せずに医療行為を行った結果起きる有害事象は、知識があれば未然に防ぐことのできるものとして医療者の過失ととられる。鍼灸の場合、治療者に十分な知識があったか否か、適切な予防措置を取っていたか否かが、過失であったか否かの判断材料となる。
 一般に、鍼灸で起こる過誤は、治療者の知識不足、技術(経験)不足、誤認識に基づく行為によっておこるものと、純粋なうっかりミスによって起こるものとがある。人は誰でもうっかりミスを犯すものである。このような無意識に起してしまうミスは、教育や訓練、厳しく注意することではなくならない。それよりも、人はうっかりミスをするものだという事実を受け入れ、どのようにすればうっかりミスを防ぐことができるのか、治療のシステムを改めることに重点をおく方が効果的である。その際、日本鍼灸師会がヒヤリ・ハットと称して会員からインシデントレポートを集め、それを会報に掲載して会員に報告しているので、それらを参考に予防策を考え、治療のシステムに取り入れていくと良いだろう。一方、治療者の知識不足、技術(経験)不足、誤認識に基づく行為によっておこる過誤は、教育や訓練によって確実に減らすことができるものである。適切な学校教育が行われることと、鍼灸師の自覚が求められる。
 医療事故が起こり訴訟になった場合、勝ち負けに関係なく、鍼灸師の精神的ストレスはもちろんのこと、裁判にかかる時間的負担や、裁判のあるときには営業できなかったり風評によって患者が減少したりなどの経済的負担が考えられ、その鍼灸院の被る損失は大きい。判決として鍼灸師に過失があるとされた場合には、当然のことながら被害者救済の観点から損害賠償義務が発生し、さらなる経済的損失が加わる。また図2から、解決せずに何年も事案を抱える可能性もあるようなので、過誤を起してしまった場合でも訴訟に発展しないよう、はじめの対応が大変重要であると考える。患者の身体を第一に考えた対処が必要で、過誤を隠したり誤魔化したりせず、自らに非があるものは速やかに謝罪し、今後誠意をもって対応する旨説明するのが良い。また、患者との関係性も大きくかかわってくる要素なので、日頃から関係構築にも気を配るべきである。だがそれ以上に、まず過誤を起さないことが何よりも重要だ。
 鍼灸施術で起こる代表的な有害事象には、神経障害・気胸・折鍼・感染・灸による火傷などがあるが、このうち死亡事故のような重大な過誤につながる可能性があるのは気胸であり、現在過誤の原因第1位になっている。気胸は教育と訓練によって防ぐことのできる過誤だと考える。よってこれより、気胸を防ぐために必要な基礎知識をまとめる。


3.胸部の解剖

(1)胸膜
 肺の表面は臓側胸膜(肺胸膜)にピッタリと覆われている。臓側胸膜は、肺門の所で服の袖のように気管支や肺動静脈を包み、そこから折れ返って壁側胸膜に移行し、胸壁内面を完全に覆う。よって、臓側胸膜と肺の広がりは同じと言えるが、壁側胸膜は肺より大きく広がっている。また壁側胸膜は、全肋骨および肋間筋の内面すなわち胸郭内面の全体を覆う肋骨胸膜、横隔膜の上面を覆う横隔胸膜、縦隔の外側面を覆い肺の内側面に接している縦隔胸膜、肺尖部に相当する胸膜頂の4部に分けられる。
 肺門で折れ返った二重の胸膜の間には、胸膜腔と呼ばれる狭い隙間があり、その中は少量の無色の漿液(胸膜液)に満たされていて、呼吸運動に際し肺を囲む二重の胸膜は互いに非常に滑らかに擦れ合うことができる。通常、臓側胸膜と壁側胸膜はその大部分でほぼ接しているが、肺の前縁と下縁では胸膜腔が広くなり、胸膜洞をつくる。このうち肺の前縁に沿って肋骨胸膜と縦膈胸膜の移行部にある空所を「肋骨縦膈洞」と言い、肺の下縁に沿って肋骨胸膜と横隔胸膜の移行部にある空所を「肋骨横隔洞」と言う。これらの空所は、肺が大きく膨張する際の余地を与える隙間と言える。

(2)胸部骨格の解剖学的な目印に対する肺と胸膜の関係
 肺の上界(肺尖)は、前から見ると鎖骨の内側1/3の部分にあり、第1肋骨より3~4㎝上まで出ている。その第1肋骨は鎖骨の後ろに隠れて触知できないので、鎖骨より2~3㎝上方に位置すると考えれば良い。後ろから見るとC7の高さに相当し、一般に右の肺尖は左の肺尖より僅かに高い。肺の前界は、肺の前縁に一致して左右ともに胸鎖関節の後側から弧状を呈し、他側のものに近づきつつ下方に走り、第6肋軟骨の高さで肺の下界に移行する。左側はしばしば第2~4肋軟骨の高さで、心切痕により正中線から左方に偏在する。肺の下界は、強く空気を吐き出した状態および死体においては、だいたい直線を描いていて、右は第6肋骨の胸骨付着点、左は第6肋軟骨の中央から始まり、後方は第11肋骨の付着部で終わる。この線は脊柱から遠くない所で第11肋骨と交差している。
 肺尖部とその部分の壁側胸膜(胸膜頂)はほぼ接しており、呼気と吸気のあいだもその位置は一致しているが、壁側胸膜の下縁はTh12の高さまであり、肺の下縁との間に胸膜洞(肋骨横隔洞)を作っている。安静呼吸時に肺の下縁は約1㎝、深呼吸時には3~5㎝上下に移動する。安静呼吸時に肋骨横隔洞に肺が入り込むことはないが、深呼吸時には拡張した胸膜洞に肺が入り込む。

(3)棘突起の高さ
 胸椎棘突起は後方に斜め下方へ突出している。そのため棘突起先端の高さと、当該椎体の高さは同じではない。しかも椎骨位によって、その高さの関係性が異なる。C2~Th3とL1~5は、棘突起先端の位置は当該椎骨の椎体下縁の高さに相当するが、Th4~7では1つ下の胸椎の椎体中央の高さ、Th8~12ではさらに下方で1つ下の胸椎の椎体下縁の高さにそれぞれ相当する。3)
 ということは、第7胸椎棘突起下縁の高さで取穴する膈兪の高さは、Th8の半ば~Th9に相当するし、第9胸椎棘突起下縁の高さで取穴する肝兪の高さは、Th10の下縁~Th11に相当することになる。

(4)膀胱経の一行線と二行線の深部構造
 二行線は腸肋筋上を走行する。腸肋筋の直下は肋間筋である。つまり二行線付近とこれより外側は筋層が非常に薄く、直ぐに肋骨そしてその下に肺があるということである。よって鍼の深刺は絶対にしてはならない。
 それに対して、一行線は最長筋上を走行する。深部では胸椎横突起と腰椎の乳頭突起のやや外側に対応し、これより内側には横突棘筋が存在する。つまり二行線に比べまったく筋層が厚く、一行線より内側は、鍼の深刺をしても危険がないということである。3)

4.鍼での気胸
 例えば、壁側胸膜のみに穴をあけることは、肋骨胸膜洞のように胸膜腔の広い部位ならば考えられる。だが、鍼灸で使用する鍼は非常に細く、穴が開いても微細なので、鍼を抜くと同時に筋肉や脂肪や皮膚が穴を塞いでしまうだろうから、体外の空気が胸膜腔に入ることは考えにくい。
 一方、胸膜洞が存在する部位以外の大部分は、壁側胸膜と臓側胸膜すなわち肺がほぼ接しているので、鍼を刺した場合、すべてを損傷すると考えられる。その場合、臓側胸膜に穴が開き、肺実質が傷つくことで、徐々に肺の空気が胸膜腔へ抜け、気胸となる。通常、胸膜腔は陰圧に保たれており、弾性を持った肺を常に引き寄せ膨らませているのだが、肺から抜けた空気が胸膜腔に入ることで陰圧がキャンセルされて肺が縮み、呼吸運動で胸郭が広がっても肺は小さくなったままになる。当然、呼吸が苦しくなるが、さらに逃げ場がない空気が胸膜腔に溜まって体性神経の分布する壁側胸膜を刺激したり、他の臓器を圧迫したりすると、激しい胸痛を生じることになる。
 鍼は非常に細く、開いた穴も微細なため、漏れる空気も少ない。よって、症状が起きるのが遅い。早くとも30分後、時には数時間後ということもある。使用した鍼が太ければ、それに応じて症状の発現は早くなる。鍼灸師によっては、治療院を出てから気胸が起こったケースは自然気胸であり鍼のせいではないと言う人もいるが、それは間違いである。

5.気胸を起こさないために
 要するに、鍼による気胸は肺・臓側胸膜の損傷を起こさなければ、原則として起きないのだから、肺の位置を理解し、安全な刺鍼の角度と方向を知って、肺に鍼が達しないように刺鍼すれば良いのである。
 かつて、鍼灸学校在学中には、膈兪以上は気胸を起すが肝兪以下は直刺しても大丈夫だと教わった(背部兪穴の刺鍼は内下方を指示されており、決して直刺するよう指導されたわけではない)。後に東京衛生学園専門学校臨床教育専攻科において局所解剖学を担当されていた先生に確認したところ、肺はTh8ないしTh9の高さまであると言われ、さらに第1~4と第9~12胸椎棘突起下端は当該椎骨より1つ下の高さ(最大1つ半下)、第5~8胸椎棘突起下端は当該椎骨より1つ半下の高さ(最大2椎下)に位置すると言われた。なので、棘突起先端との位置関係と照らし合わせて考えても、在学中の教えは正しいと思っていた。だがその後、解剖学書などで肺の位置を確認したところ第11肋骨の付着部の高さまでとあり、とすると肝兪でも気胸の可能性が出てくることになる。このような解剖的な見解の違いは、個人差によるものと、ご遺体を観察したものと生体のCT・X-P画像から見たものといった違いからでてくるのだろうと思うが、加えて肺の下界は呼吸によって移動するので、結局のところ肺が胸椎何番の高さまであるのかはっきり言い切れない。ただ治療の際に、わざわざ患者に深呼吸をさせて刺入することはないだろうし、置鍼中に深呼吸を繰り返すような患者もいないだろうから、壁側胸膜下縁(Th12相当)までを危険と考える必要はないだろう。
 また、安全な深さについては、鍼灸医療安全ガイドラインに肩井の垂直方向20㎜、膏肓19㎜など、目安となる深度が記載されている。だが、いずれも極端な痩せ型を除きとあり、調べた例数も必ずしも十分ではないので、その安全深度は100%保障するものではないとしている。刺入面から肺までの到達距離は個人差が大きい。鍼灸院を訪れる患者の体型は、ひどく痩せた人から極端な肥満まで千差万別であるし、そればかりか胸部の形にも扁平胸・ビア樽状・鳩胸・漏斗胸など、通常と異なる場合がある。これらは先天性の場合もあれば、何らかの疾患が原因で起きる場合もあって、例えば肺気腫を持つ患者は胸郭が拡張しビア樽状に大きくなるのだが、その見た目とは裏腹に胸・背部の筋層は薄く、気胸を起しやすい。その上、軽度な気胸であっても重篤な急性呼吸不全を起こす可能性もあり、十分な注意が必要である。このように安全深度は、何㎜までなら大丈夫などと言えるものではないので、どの患者に対しても体型をよく観察し、初診時には問診で必ず既往症を聞いて患者の持つ疾患を把握し、リスクの高い患者には細心の注意を払うよう努めることが必要である。
 いずれにしろ原則として、背部では膀胱経一行線より内側では内方あるいは内下方に向けて斜刺、それ以外の胸・背部への刺鍼はすべて横刺~水平刺にすべきである。また、置鍼したときには問題ない深さだとしても、患者の予期せぬ体動によって鍼が深く入ってしまうことも考え、たとえ使用している鍼が根元まで入ってしまっても肺に当たらない方向と角度で刺入することが必要である。重要なのは、深さよりも角度と方向である。また、一般的に背部や肩井付近に気胸事故が多いのでみな注意を払うが、意外と忘れがちなのは腋窩や側胸部である。ここは筋肉層が薄く気胸を起こしやすいので要注意である。

6.最後に
 これから鍼灸が発展していくことを考えたとき、鍼灸の治効機序の解明や有用性の証明がされることはもちろんだが、それ以上に鍼灸は安全で、苦痛を伴う治療ではないことを広く一般に知ってもらう必要がある。そのためにも、今後さらに事故の発生を減少させる努力が必要だと考える。
 事故を起さないためには、上記のような気胸に関する知識が必要だと思うが、この知識と同じくらい、これを実践できる技術が重要だと考える。私が講師を務めている鍼灸学校では、肩甲骨内縁を肋骨角に取ってみたり、胸・腰椎の何番であるか正確な取穴が出来なかったり、横刺をしていたはずが押し手を離したら鍼が直立してしまったりといったことが日常茶飯事に見られる。これではいくら知識があったとしても事故は無くせない。どのような体型の患者でも解剖学的な目印が触知でき、自分の思う方向・角度に間違いなく刺鍼できる技能を身に付けること、これが絶対必要である。少なくとも学校教育において、安全に治療を行えるだけの知識と技術を習得してから卒業させて欲しいものである。

参考文献
1)片井秀一 他 「鍼灸の安全性に関する和文献(1) 総論」 全日本鍼灸学会雑誌50巻4号 680~718 2000.11.1
2)山田伸之 他 「鍼灸の安全性に関する和文献(3) 鍼治療による気胸に関する文献」 全日本鍼灸学会雑誌50巻4号 680~718 2000.11.1
3)編集:北村清一郎 鍼灸師・柔道整復師のための局所解剖カラーアトラス
4)監訳:坂井建雄・大谷修 プロメテウス解剖学アトラス 頚部/胸部/腹部・骨盤部
5)編集:(社)全日本鍼灸学会研究部安全性委員会 「臨床で知っておきたい鍼灸安全の知識」
6)編集:尾崎昭弘・坂本歩/鍼灸安全性委員会 「鍼灸医療安全対策マニュアル」
7)編集:尾崎昭弘・坂本歩/鍼灸安全性委員会 「鍼灸医療安全ガイドライン」

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