執筆

代替医療のトリックに答える4

(社)全日本鍼灸学会 副会長  小川卓良
明治国際医療大学  川喜田健司

14、鍼治療はデリケートなので臨床試験になじまない、との反論に対して

 この反論に対し「鍼の効果が検証できないほどデリケートならば行うに値する治療なのであろうか」と答えているが、デリケート=微少という意味ならば正にその通りである。しかし、デリケート=技術的に繊細な或いは複雑なという意味あいならば本論の10や14で述べたことと同様の反論ができる。

15、浅い鍼や経穴をはずした鍼でも真の鍼と同等の効果ならば鍼の哲学が崩壊するか

 本書では「最後に鍼治療師のなかにはこう論じる人がいる。なるほど、本物の鍼も偽鍼も同程度の成績しか出せないかもしれないが、偽鍼が患者に医療効果を及ぼすならそれでよいではないか、と。だが、鍼を浅く打ったり、経穴をはずして打ったりしても、経絡になんらかの影響が及ぶとしたらどうだろう。もしもそんな影響が現実にあるなら、鍼の哲学そのものが崩壊する。なぜならその場合、どの位置にどんな深さで鍼を打っても治療効果があることになるからだ」と述べている。

 本論の9のところで述べたように、「鍼をしても、鍼を刺入しないで手で触れても経穴でも非経穴でもどこでも効果は同じ」という結論は鍼灸師としては支持し難い。

 さて、欧米での真の鍼とは経穴に深く刺す鍼のことである。なぜ深く刺すのかというと経絡が深いところに流れているからだ、と本書は説明している。一般的に中医鍼灸は深く刺して得気を得る治療を行うためにそれが真の鍼という説明である。しかし、日本の鍼の中には接触鍼や浅い鍼も広く行われていて臨床的に成果を上げている現実がある。

 経絡が深部に流れているという根拠は『霊枢』経脈(10)編に「黄帝曰.経脈十二者.伏行分肉之間.深而不見.其常見者」(黄帝曰く、十二経脈は皆隠れて分肉の間を伏行して、その位置は甚だ深く、体表からは観察しにくい)とあり、経絡は深部を流れていると解釈できる。

 しかし、『霊枢:九鍼十二原』に「皮肉筋脈、各有所処、病各有所宜、各不同形、各以任其所宜(皮肉筋脈には各々異なる部位があり、鍼を刺す深さも、病気によって夫々適う所がある)」とあり、病気により鍼の深浅を変えるように書かれている。よって、真の鍼は深く刺すべしという本書でいう鍼の哲学が間違いで、浅い鍼も偽鍼にはならない。

 また、経穴を外しても同じ結果ということになると、経絡・経穴学及び気血論の崩壊となり正に哲学の崩壊となる。最近WHOの第二次経穴委員会で世界標準としての経穴位置が大幅に変更となった。しかし、世界標準も最も有効な場所に経穴を定めたのではなく、各国が依拠している古典の根拠を検討して決められたものである。しかし、日本では中国や欧米と違って古典派、中医派、科学派の区別無くほとんどの鍼灸師が皮膚或いは皮下の反応を触って反応を診て取穴する。中国や欧米では経穴は単に地図上の問題と捉え触ってその反応を診ることはしない。本書の批判は「触らない、取穴しない中国鍼灸」への批判ともいえる。欧米での臨床試験はプラセボ経穴を二つ比較しているに過ぎない、という言い方もできなくはない。

 日本の取穴行為に古典的な根拠があるであろうか?『霊枢:刺節真邪第七十五』に「用鍼者.必先察其経絡之実虚.切而循之.按而弾之.視其応動者.乃後取之而下之(鍼の治療では、必ず先に経絡の虚実を観察し、手で経脈に沿って触診し、押さえたり弾いたりして、指に反応する部位を確かめ、後に穴を定め刺入する)とあり、取穴の必要性は説かれている。要するに日中欧米で経穴名は同じでも場所は違っている可能性が大きい。よって、経穴を外して刺鍼しても有効であった、という外さない経穴が真の経穴と限らないので鍼の哲学は崩壊しない。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。