『代替医療のトリック』に答える
(社)全日本鍼灸学会 副会長 小川卓良
明治国際医療大学 川喜田健司
1、はじめに
2010年1月31日に表記『代替医療のトリック』(以下「本書」)が出版され、総じて「代替医療は無効である」と断じて、その一番手に鍼治療が62頁にも渡って書かれた1)。
本書は一流の出版社で発行され、かつ作者が科学ジャーナリストとしては世界的に著名なサイモン・シン博士(物理学)と先駆的代替医療研究家の英国エクスター大学エツァート・エルンスト教授が書かれているから無視できない。
本書での鍼治療に対する最終結論は「鍼治療効果はプラセボに過ぎない」というものであるが、細かく4つの結論を出し、更に予想される反論に対して予め反論封じの論を5つ展開している。本論ではその一つ一つに対して反論を行う。
2、鍼麻酔はやらせか?
鍼治療については、「鍼麻酔」が第一の批判対象となり、「鍼麻酔はやらせである」と断定している。確かに、中国の鍼麻酔手術に政治的プロパガンダとして「やらせ」の側面があった可能性は否定できないのは事実である。しかし、その報道をきっかけとして、世界中の研究者が鍼に関して様々な研究を行った結果、鍼麻酔による手術の成功例やヒトでの鎮痛効果の発現については多数の報告が一流雑誌に掲載されたことも事実である。そして、鍼刺激によって生体内の鎮痛機構が賦活されること、その一部に内因性オピオイドが関与していることが明らかにされ、これらは世界の基礎医学者の間で広く認められている。
また、鍼の鎮痛効果はヒトだけのものではなく、プラセボ効果は生じないとされる動物実験によっても観察され、より詳細な機序の解明が進められているのが現状である。これらの事実は、本書の主張する鍼の効果が全てプラセボ効果とする見解とは相容れない。
3、WHOの報告は衝撃的までの虚偽誇張があったと断じた
WHOは鍼について1979年に第1回の報告書を出しているが、これには我々も驚きを禁じ得なかったのは事実である。例えば細菌性下痢(赤痢やコレラ等)に鍼が適応となっていたからである。それは、当時の中国では充分な抗生剤がないから鍼で対応せざるを得ない、という状況があったからと考えられ、医学的というよりも政治的な配慮が窺われる。
2003年には、WHOの鍼治療の有効性を検討する委員会から293論文を対象として『鍼-対照臨床実験に関するレビューと分析』が発表されたが、107の症状の内28の症状は効果が証明され、他は、更なる証明が必要だが有効性は示されている、或いは条件付けで試みる価値があるとし、鍼が無効とされた症状は皆無であったというものであった。
本書では、論文にはエビデンスの低い或いはずさんな研究が多数あり、その上中国の論文を多数考慮したことが大きな過ちであると論じた。中国での論文は、良い結果だけが公表される発表・出版バイアスの固まりであると断じている。確かに中国の研究については、感音性難聴の鍼治療や禿髪の閻三針などが代表されるように、我々も素直に信用できない側面があるのは事実である。
また、この委員会の構成が全員鍼の肯定者ばかりで、かつ委員長は中国の権威ある中医師であり、公平に検討すべき委員会の構成としては極めて不適切との指摘など、この部分については、我々も本書とほぼ同意見である。
4、鍼に対する結論1に対する反論
鍼に対する結論の第一は「気や経絡が実在することを示す科学的根拠はないため、伝統的な鍼の基本思想は大きな難点を抱えている」というものである。確かに目に見える客観的な形で経絡或いは気の存在を示すことはできていない。しかし経口投与された薬剤の生体内での動きも客観的に目に見える形ではわかっていないことも事実である。図1は物理学者の故武谷三男博士の科学的認識についての三段階論である。全てが理解でき普遍的法則が得られる状況での科学的認識を本質論的認識といい、ある条件下では法則がつけるような場合、例えば相対性理論が本質的だと仮定すると、ニュートン力学は速度が遅い場合にはその法則性が適応できるような場合を実体論的認識のレベルという。現象論的認識のレベルとは例えば、鍼をすると胃が動き出すとか、痛みが軽減するなどということが同一条件下では有意に再現するがそのメカニズムは不明というレベルのものをいう。
西洋医学の薬剤はそのメカニズムがわかっているから、鍼治療と同等ではないという反論があると思われる。しかし、薬理学・生化学におけるメカニズムはあくまでもin vitroの成果或いはせいぜい動物での in vivoの成果であって、人間の生体内の話ではない。もし、薬剤の作用が実体論的に解明されているのならば、薬害・副作用・個人差などの問題はないか限りなく少ないはずであるが現実はそうではない。複雑系である人間でのメカニズムは鍼も薬剤もほぼ同等のレベルしか実際にはわかっていないのが現実である。よって、この結論は「その通りであるが、西洋医学も基本的には同等である」と反論できる。
5、鍼のついての結論の2は一言で言えば、「鍼の臨床試験は膨大な数があるがいずれも質が低く信頼できない」というものでこの中に前述のWHOの報告も取り上げられている。
この点についての反論は、他の反論の中で行う。
6、結論の3は「質の高い研究だけに絞ってみても鍼にはプラセボを上回る効果はない」というものである。本書において、厳密に計画・実施されたドイツの大規模臨床試験が紹介されている2)。その結果として、本物の鍼刺激群とプラセボ鍼刺激群の群間に差がなかったので、鍼はプラセボ効果に過ぎないと結論している。しかし、著者らが言及していない重要な事実がある。それはドイツの臨床試験では、本物の鍼とプラセボ鍼だけを比較した訳ではなく、鍼を受けない通常の現代医学的な治療を受けた群(待機群)やガイドラインに基づいて実施された標準治療群とも比較している。その結果は、本物とプラセボの両鍼群の方が待機群及び標準治療群に比して統計学的に有意に効果が大きかったことである。
その機序の議論は別にして、このことは、鍼治療の安全性の高さとともに、今後の医療において十分に考慮されるべき事実であることを強調しておく必要がある。
今回の大規模臨床試験の対象は、膝の痛み、腰痛症、片頭痛、緊張性頭痛といった筋骨格系の痛みに限定されているが、鍼の臨床的効果が大規模で厳密な方法によって証明されたことは、むしろ特筆すべき事実である。
また、そのプラセボ鍼として用いられている鍼手技は、生理的に無効(不活性)なものではなく、浅く刺した鍼が用いられ、この浅く刺した鍼は日本では広く用いられている手技であることを考えると、日本の繊細な鍼による臨床効果を科学的に証明したことを意味するものでもあるといえよう。
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