鍼灸

どこまで解った鍼灸の科学 EBMってなあに? その3

(3)EBMは今までの医学を否定する?という誤解?
 前号で、日野原氏の「今までの科学的根拠といわれるものと、EBMでいう根拠(エビデンス)とは異なるものである。」という言を引用し、今までの科学的根拠とは in vitro と動物実験での科学的根拠であり、生きている人間に対しては「そうなるはず学」だったと述べた。基礎医学の研究者や教育者からは猛烈な批判を浴びそうだが、生体実験ができないという当たり前の制約の中では当然のことであり、今までの基礎医学の方向が間違っていたというわけでは決してない。

 しかし、その基礎医学の成果を生きている人間に応用する場合には、そのまま適応するわけにはいかないのであり、動物と違って非常に多様な反応を示す人間には、本当に同じように反応するのかを試すために臨床実験を行う必要がある。
 だから、薬理学・生化学・生理学・病理学などに基づいて開発され新薬が、動物実験や in vitro の成果と全く反対の反応を示したり、思わぬ副作用が生じたりしているのは日常茶飯事である。しかし、副作用といっても有害な例ばかりでなく、全く予想してない有用性があった最近の例としてはバイアグラやリアップがある。

<例題2>コレステロールが高いと長生きできない?1)
 血中コレステロール値が高いと血管が粥状変性を起こし脆くなるとともに高血圧になる。そのために、脳卒中や虚血性心疾患になりやすく長生きできないのでコレステロールは下げなければならない、というように習ってきたはずである。
 しかし、近年ではコレステロールは低い方がむしろ問題であるとか、コレステロールが高くても中性脂肪が高くなく、HDL(善玉コレステロール)が低くなければむしろ長生きだ、等といろいろいわれるようになったが、それでもせいぜい血中コレステロール量は240~250mg/dlくらいまでの話しで、それ以上はさすがに高すぎて下げなければならいとのことであった。

 元々コレステロールは人間に不可欠な物質である。第一に、細胞の構造や機能を保つために必須物質であり、第二に多くのホルモンの原料であり、第三に脂溶性ビタミンの運搬役であり、第四に蛋白質の代替物質として生体の損傷修復に使われ、第五に胆汁の原料である等、生体になくてはならない物質である。
 また、コレステロールは体内で18段階の反応を経て合成される。コレステロール低下剤は、それらのどこかの過程で合成を阻害する目的で作られる。しかし、この18段階の反応のどこかで止めればコレステロールは出来ないかもしれないが、そのことによって他に影響を及ぼす中間産物が出来なくなったり、止められた反応以後の代謝の働きがなくなったために全体のバランスが狂ったりすることは大いに考えられる。
 実際にコレステロール低下剤の使用により、抵抗力が落ち癌の発生率が高まったり、呼吸器や消化器の疾患になりやすかったり、肝疾患になったりで薬を飲む弊害の方が遙かに高く、医療の現場でも低下剤の使用は消極的であった。

 このように、当初はコレステロールが高いことによる血管の粥状変性の病理学的問題によってコレステロールは悪玉扱いであったが、その後生理学的機序が解明されるにつれ、単なる悪玉ではなさそうであるということになってきた。
しかし、in vitroの実験や動物実験では人体における詳しい機序はわからない。
 そこで、新たにスタチン剤(メバロチン等)が開発され、EBMに基づいて長期試験が行われ、コレステロールを下げることによって心筋梗塞の発症率を減少させることができたという報告がいくつか出され、欧米はもちろん日本においても急速に用いられるようになり、「エビデンスに基づく高脂血症治療薬」として大々的に宣伝され、1998年には約3000億円近い薬剤費が支出されている。このためにEBMというと製薬会社の宣伝文句と誤解する人もいるそうである。
 さて、EBMに基づいてコレステロールに対する対応が決まったかというと、そうではなくいろいろ問題があるようである。EBMの基礎的なキーワードを紹介しながらこの問題を考えてみる。

 ① ARR*1(絶対危険率減少度)とRRR*2(相対危険率減少度)
RRRとはプラセボや今までの標準治療に比べて危険率(例えば、死亡率や罹患率等)がどのくらい減少したかをみるもので、例えば5年間の死亡率がプラセボに比べて半減したのならば、50%ということになりその効果の割合を示すものとなるともいえる。
 それに対して、ARRは実際に減少した数字をそのまま表すもので、5%から2%に減少したのならば、3%という数字になる。よって、ARRは社会に対する貢献度とみることもできる。EBMにおいては、RRRよりもむしろARRの方が重要であると考えられている。すなわち、医学的に有効性が高くと(RRRが大きい)も当該疾患の罹患率や死亡率が低かったりで、全体に対する貢献が少なければ(ARRが小さい)あまり役に立たないということである。

 さて、このスタチン剤のARRとRRRはどのくらいだったのであろうか。
狭心症や心筋梗塞の既往のない高コレステロール血症の人を対象として、心筋梗塞の予防、死亡率の改善を検討した一次予防(病気にさせないことで、病気の早期発見・早期治療は二次予防という)に関する実験は一つだけである(1)。
 この研究での5年間の死亡率のRRRは22%だったが、ARRは4.1%から3.2%へとわずか0.9%減少しただけで0.9%(正確には0.89%)であった。

 ③ NNT*3(治療必要人数)
  NNTとは一人の不良な転帰(死亡とか入院というような変化)を防ぐために治療されるに必要な患者の数のことをいい、ARRの逆数となる。
簡単にいえば、NNTが多ければ大きいほど社会に対する貢献が低く、少ないほど大きいということになる。
 この研究では、ARRが0.89%であったから、NNTは112となり、112人治療してやっと一人助けることができる程度しか改善していないというこ とになる(しかし、統計的には有意)。

 この研究での問題は二つある。一つは、研究対象者の44%が喫煙者で、15%が高血圧症を合併しており、5%が狭心症を合併していることで、かなりハイリスクな患者ということができる。もう一つは、スコットランド人を対象としているが、日本人の心筋梗塞の死亡率は、イギリス人に比べて5分の一程度であるということである。

 どういうことが問題かというと、死亡率が5倍も高い国でかつハイリスクな対象者で行った実験でARRが0.9%でNNTが112であれば、仮にハイリスクを考えなくても、単純に計算して日本で行えばARRは0.2%以下、NNTは600以上になるということである。そして、差がかなり小さくなることで有意差がなくなり、統計的にはネガティブな研究となってしまうであろうということである。

 このようにうどん粉などのプラセボと比べてほんの小さな効果しかない薬剤に、年間3000億円ものお金をかけることに意味があるのかは大きな問題である。これが人種の差である。

<EBMは医療費削減戦略の一環ではないか、という誤解>
 EBMはこのように有限な資金(日本では健康保険費や自費で払えることができる有限な資金)の効率的な活用のための資料も提供してくれることにも価値がある。このために、「EBMは医療費削減戦略の一環ではないか」という誤解も生じているのであるが、今まで対費用効果をほとんど考えずに、出来高払いを漫然と続けてきた行政と医師会に問題がないとはいえないだろう。GDPが毎年高率で推移していた高度成長時代ならばいざ知らず、資金が有限であること、未曾有の高齢者社会に突入することに直面して、改善すべきところは改善していかないと国がつぶれる。医療費削減の戦略というものではなく、元々がでたらめだったので医療費の適正配分ということを考えなければならないということであり、そのためにEBMは応用できるということである。順序が逆である。

 この「EBMは医療費削減戦略の一環ではないか」という誤解に対しての回答の中で、前厚生省大臣官房厚生科学課の高原亮治氏は、「我が国で行われているような多項目データをとりあえずそろえる方法は、‥‥伝統的な西欧的な医療思惟とは、優劣は別として異質なものであろう。あえていえば、日本の医療は、検査デ-タのパターンを証として扱う、東洋医学の思惟の系譜に連なると考えている。」と述べている2)。

 デカルト科学を元にする西洋医学では、主訴を分析的に検討していって、鑑別すべき疾患等を判別した上で、検査項目を決める方法が採られるはずであるし、教科書や成書もそういう手順や論理で記載されている。しかし、実際には主訴ごとに検査項目などがあらかじめパターン化され決められていてルーチン作業になっている。だから、受付で主訴をいうと、医師の診察を受ける前にほとんどの検査が終了し、その検査データを持って医師の診察を受けるというシステムが取られている病院が多い。この思惟体系と東洋医学の四診合参の診断体系とは同質であると皮肉っているのである。

 言うなれば、何という医師の裁量の手抜き、何という医療費の無駄使い、そして患者の肉体的・精神的・経済的負担への配慮のなさということである。

<実は日本人ではコレステロールは高い方がより長生きする?>
 さて本題に戻るが、まだ問題がある。実際にはこちらの方が大きな問題であるのだが。
 コレステロール値は、高いのも問題だが低いのも問題であるということでちょうどU字型に危険率はなり、200~240程度が一番危険率が少ないというように最近いわれてきた(もちろん他の数値や既往歴との関連もあり一概にはいえないが)。しかし、このことの根拠も心筋梗塞での死亡率が日本人に比べて極めて高い欧米人を対象とした研究であったのである。

 では、何故死亡率の高低が問題なのであろうか。元々の死亡率が違っても薬剤の効果が同じであれば、同様に役に立つはずであると考えるのは自然である。ただし、副作用の問題を考えなければということである。
 コレステロールは、前述のように生理学的に人間に必須の物質であるから、自然にある値でホメオスターシスを保っているところに、コレステロールが減少すれば、ホメオスターシスは狂い、生理学的に問題が生じることは容易に推察できるし、現実に今までのコレステロール低下剤は、副作用の方が問題であった。
 スタチン剤の研究でも、当然副作用や他の疾患の発症率や他の疾患での死亡率も考慮されている。しかし、心筋梗塞での死亡率の減少がそれらの上昇を上回ったために、その有用性がいわれたのである。

 しかし、日本では心筋梗塞での死亡率が5分の一なので、むしろ逆に他の疾患での死亡率の上昇(例えば癌の発症は数倍になる)の方が大きくなり、コレステロール低下剤を使用した方が寿命が短くなるという結果となってしまう。そればかりか、コレステロールが高いというハイリスクの問題よりも、高くなることにより、心筋梗塞になる確率は若干高まるかもしれないが、他の病気になる確率が大幅に減少するので、コレステロール値は高ければ高いほど長生きできる確率が高くなるという結果になるのである(ただし、狭心症や心筋梗塞の既往のある場合は除く)。
 近年、日本人の食事パターンが欧米化するとともに心臓疾患が急増したことは事実であるが、それでも欧米人に比べると十数分の一から五分の一程度に上昇しただけである。

 結論は、心筋梗塞や狭心症の既往がない日本人は、一般論としてコレステロール値が高いほど長生きが出来る可能性が高いということになるが、それでもハイリスクな患者は問題であろう。問題はリスクとコレステロール値との兼ね合いである。心臓疾患のリスクファクターは、喫煙、高脂血症、肥満等幾つもあり、どれだけのリスク保持者ならコレステロールはどのくらいが良いか、ということはまだ全然分かっていない。結局分かったことは、以前ほど「コレステロール値が高いからといって神経質になるな」ということと、「リスクが少ない人にはむしろ高い方が良いよ」といえることくらいで、後は患者ごとに医師・鍼灸師の裁量で判断せよということである。

 ④ エンドポイント*4
 実験の効果を測定する評価項目のことで、ここでは心筋梗塞による死亡率と全死亡率がエンドポイントとして用いられている。医学研究論文を読むときにこのエンドポイントが、本当に役に立つものかどうかをみる必要がある。
 この例では、コレステロール値の低下や心筋梗塞による死亡をエンドポイントとすると、スタチン剤のみならず他のコレステロール低下剤も有用性が高いということになるが、全死亡率をエンドポイントとするとその逆であるということである。人間にとって心筋梗塞で死のうが癌や肺炎で死のうが、死ぬ確率が高まる方が嫌なのに決まっていると思うが、中には癌では嫌だけれど心筋梗塞ならいいという人もいるかもしれないが。
 同じような問題で、血圧降下剤の使用がある。血圧降下剤の使用により、確かに脳出血の発症が十分の一程度の減少したが、逆に脳梗塞は十数倍になった。脳出血と脳梗塞を比較すれば確かに脳出血の方が怖い病気(死亡率や後遺症の問題で)であり、血圧降下剤の有用性は認めなければならない(ただし、対費用効果は問題:薬を使うより適度な運動と適切なダイエット及び禁煙などの方が遙かに効果的であるし、医療費はかからないと思うのであるが)。
 しかし、血圧は動脈硬化の有無に関わらず活動に必要だから上昇するのであって、それを下げることによって数々のQOLの低下があるだろうと推理することは自然であるし、寝たきり患者も降圧剤のおかげで増えていることも容易に推察できる。このQOLをエンドポイントとした研究も徐々にであるが出始めているが、複数の数値を扱う多変量解析になるし、一つ一つのデータが主観的なデータであることが多いのでなかなか難しいものがあるようである。よって、降圧剤は生きながらえてこれからもどんどん処方されるだろう。
 このQOLをエンドポイントとする研究方法が確立され、かつ容易に実行できるものであれば、鍼灸治療の評価を高めることができるのではないかと密かに期待している。

<EBMは今までの医学を否定はしないが肯定もしない>
 EBMは今までの医療を否定するものではないが、ただ、病理・生理・生化学・薬理学などの基礎医学だけの結論では、実際に臨床に役立っているかは分からないのでEBMに基づいた臨床試験が必要ですよ、とはいっているし、EBMで実際に検証してみると、今までの常識が実は根拠がないものであったということも数々出てきたのである。よって、標記の批判・誤解が生じたのである。しかし、臨床医学は基礎医学の基に成り立つものであるし、病理学や生理学等をEBMは否定する問題ではないのは当然であるが、それだけでは臨床医学では不十分ですよということである。

<日本の研究が世界で評価されないのは鍼灸だけでない>
 さて、鍼灸医学ではどうだろう。NIH報告は鍼灸に携わるものにとっては成果であろうが、喜んでばかりではいられない。かなり否定的な部分も含まれている。また、日本の研究がNIH報告の対象となった論文に全く含まれていないという現状もあり、(社)全日本鍼灸学会としても世界に発信できる研究成果を出そうと努力しているところである。ただ、後述するが鍼灸臨床医学にEBMの手法を当てはめることの難しさがあり、なかなか世界の医学界に評価されるポジティブな研究成果は出ない可能性は高い。尤も、世界で日本の研究が評価されないのは何も鍼灸に限らず、西洋医学の医学会でもそうである3)4)。

<EBMと代替医療*5との関係は>
 EBMは今までの医療を否定するものであるという批判・誤解が生じる背景は、ここにあげたコレステロールの問題だけでなく、EBMによって西洋医学の常識が数多く覆されたり、批判の俎上に載ったからだからでもある。そして、鍼灸においてEBMによる価値の高い論文が出ないことに悲観するだけでなく、本当に西洋医学は医療として貢献してきたのか、または日本において年間何十兆円も支出するだけの価値があるのか、ということもいわれだし、そのことによって却って代替医療や鍼灸医学の評価が相対的に高まった面もあるのである。
 臨床家としてEBMの実践をしてきた*6愛知県昨手村国民保険診療所の名郷直樹氏は、プライマリ・ケア誌で「EBMと代替医療の関係は?」という問いに対して以下のように答えている。あまりに衝撃的な回答なので全文を引用させていただく。

 「EBMと代替医療というとき、まず思い浮かぶのは、代替医療をEBMの手順で評価するとどうなるか、あるいは代替医療をEBMの手順でそもそも評価できるのか、ということかもしれない。しかし、筆者自身のEBMの実践の経験からいえば、そのような問題は今後大きな問題となってくるにせよ、現状ではあまり問題にならない。鍼や漢方など、ごく一部のものを除き代替医療の大部分のものはEBMの手順でほとんど評価されていないからである。

 EBMを実践しつつある中で、EBMと代替医療について明確に自覚されたのは、西洋医学も、EBMの手順で評価すると代替医療と何が違うのかよくわからないということである。あえて違いをあげるとすれば、有効であるという確たる根拠がないことが明らかになっている部分が代替医療よりも多いということが最も違うところかもしれない。代替医療は有効だという根拠もない代わりに有効でないという根拠もない。

 風邪に対して抗生物質が有効だという明確な根拠はない。逆に大きな効果はないというかなり明確な根拠がある。風邪のときに首にネギを巻くという医療が有効だという根拠はないが、有効でないという根拠もない。加えて首にネギを巻く副作用というのはあまりないだろうが、抗生物質にはかなりの割合で副作用がでる。EBMを通じて明確になったことは、風邪に抗生剤を投与するという医療が、場合によっては首にネギを巻く医療に劣るかもしれないということである。EBMが代替医療を西洋医学まで引き上げるどころか、EBMにより西洋医学が代替医療と同じ土俵まで引きずりおろされた、それが私の実感である。
 患者にとって何が一番良い医療なのか、それには西洋医学も代替医療も関係ない。患者にとって良い医療が良い医療である。無効であることが明らかな西洋医学の治療をするくらいなら、効果が不明でも副作用の少ない代替医療、例えば首にネギを巻くような、そのような医療を選ぶ患者がいる、それは当然のことである。EBMによってあらゆる医療行為が相対化される。そしてその洗礼を真っ先に受けたのが西洋医学である。EBMによって相対化された医療はもはや西洋医学であるからといって信じられるものではない。代替医療も西洋医学もEBMの前では同じであるということが明らかになった、それが私の中でのEBMと代替医療の関係である。こうした思いは私の中ですでに逆説的なものではない。

 “Do no harm,(害のないことをせよ)”そこにすべての原点がある。EBMの深みにはまればはまるほど、代替医療の深みに陥る患者を決して笑うことが出来ないと強く感じている今日この頃である。」

 この回答の中には、数多くの示唆に富む文章がある。それを私なりに列挙すると以下のようになる。
① 「代替医療をEBMの手順でそもそも評価できるのか」
 非常に重要な示唆である。QOLをエンドポイントに出来るのかという問題や、治療行為を客観的にできるのか、そして標準化できるのかという問題、そしてプラセボの問題など様々な問題があるということである。
② 「西洋医学も、EBMの手順で評価すると代替医療と何が違うのかよくわからない」
 EBMで治療効果が否定されることが多いことをいっているのだが、第46回全日本鍼灸学会学術大会のシンポジウムで、長崎国際大学の石田秀実教授の言葉を思い出す。「鍼灸は、自然治癒力に頼り、それを鼓舞することがその効果というが、むしろ自然治癒力に頼っているのは西洋医学の方である。‥‥」詳細は全日本鍼灸学会誌を参照されたいが、この言葉はかなり衝撃的だった。医学・医療に全く違う角度から参加し研究している二人が、同じ結論にいたっていることに驚く。
③ 「EBMにより西洋医学が代替医療と同じ土俵まで引きずりおろされた」
 ②と同様だが、理論的にも抗生物質はウイルスに無効であるのは明らかであるのに、それを肺炎の予防という大義名分で処方している現状は、副作用が皆無であるならばいざ知らず、そうではないし、また、万一肺炎になった場合でも、それから処方しても手遅れにならないのであるから、医療費の無駄使いの詐欺行為という次元でなく、患者に対しての傷害罪にも匹敵する、というのは言い過ぎであろうか。
④ 「EBMによってあらゆる医療行為が相対化される」
⑤ 「代替医療も西洋医学もEBMの前では同じである」
 EBMはその背景にある理論とは無縁である、ということである。あくまでも臨床的に評価して初めてその有効性がいえるということで、あらゆる医療行為が同じ土俵でEBMによって評価されるということをいっている。

読者はこの回答文を読んで、どう思われただろうか。私はこの回答文によってEBMの実態により深く踏み込めたという思いだった。 つづく

<今日のキーワード>

*1 ARR:絶対危険(リスク)減少度 Absolute Risk Reduction
  対照群の事象率(CER)と比較した試験群の事象率(EER)との差。
  ARR=CER-EER
 ※ 事象率(ER:Event Rate):グループ内である事象(死亡とか罹患等)が観察された人数の割合をいう。対照群の場合は、Control ERでCER。
   試験群の場合は、Experiment ER でEERとなる。
*2 RRR:相対危険(リスク)減少度 Relative Risk Reduction
  対照群の事象率と比較した治療群の事象率の事象減少百分率。
  RRR=(CER-EER)/CER*100
*3 NNT:治療必要人数 Nember needed to treat
  一人の不良な転帰を防ぐために治療されるに必要な患者の数。例えば一人の死亡を防ぐのに何人に治療すればその効果が期待されるかということで、ARRの逆数となる。 NNT=1/ARR
  すなわち、ARRが1%であれば、NNTは100となる。これは例えば試験群が対照群に比べて5年間の死亡率の減少が1%しかないので、この差は具体的には100人試験群の治療をして、やっと対照群に比べてその100人の内の一人を助けることが出来るという意味である。
*4 エンドポイント:endpoint
 研究デザインを考える際に、効果の観察・測定対象となる評価項目のことで、通常は死亡率や罹患率が使われるために、死亡で実験がエンドとなることから 付けられた名前。エンドポイントの妥当性や信頼性が問題となる。
*5 代替医療:Alternative medicine
 正規医療(通常は西洋医学)の代わりをする医療という意味で、西洋医学以外の様々な治療法、民間療法、養生等を指す。鍼灸が代替医療であるかどうかは議論があるところで、諸外国では代替医療に含まれることが多いが、日本では鍼灸治療は免許制度がある正式な医療という考え方もあって、代替医療に含めない考え方もある。
 また、西洋医学と東洋医学の良いところを互いに補完しあって、より良い医療の完成を目指そうとする考え方もあり、この場合には統合医療(Integrate  Medecine)といっている。
 第46回全日本鍼灸学会学術大会のシンポジウムで、長崎国際大学の石田氏は、鍼灸はAlternative medicineを目指すのではなくcounter medicineを目指せと檄を飛ばされた。この意味は、補完する医療といういじけた次元で研究するのではなく、西洋医学に対抗する医療として堂々とせよということである。
*6 EBMを臨床家として実践する
 EBMはとかく臨床研究を行う学者や臨床疫学の専門家が行うものというように思われがちであるが、実際には臨床に応用して初めて意味のあるものとなるのである。しかし、多くの臨床家にとってたとえ専門分化している西洋医学においても、その分野における論文を読みあさることは到底不可能である。ましてやそれが世界中の論文となると、グループで行っても全く無理である。
 ではどうして臨床に応用していくかというと、世界中のある一定水準以上の医学論文のアブストラクト(抄録・要旨)を納めた MEDLINE誌等をインターネットで検索する方法(無料)があるが、現在ではそれぞれの研究・臨床テーマ別にメタアナリシスや系統的なレビューを行って吟味されたコクランライブラリー*7等の二次資料*8がCD-ROMであり、これを活用する方法が取られている。
 診察室に、パソコンとCD-ROMがあれば瞬時に資料を読むことが出来る(ただ し、論文の全文ではないが論文の価値は既に評価されているので、臨床への応 用は要旨だけで十分)が、実際には英語を迅速に読めなければできないので、 後で読んで次回に活用しても十分対応できる。(この方法などは後で、詳しく 解説する)
*7 コクランライブラリー(Cochrane Library)6)
 イギリス政府が国民医療サービス(NHS)の質的向上を目指し、研究開発プログラムの一環としてバックアップして1992年に始まったコクラン共同計画がCD-ROMやインターネットで発行しているもの。そこでは、治療に関する様々な臨床試験を総合的・系統的にレビューし、それぞれの治療法が現時点でどの様に位置づけられるかを客観的に判断するための情報を提供することを主な業務としている。この動きは世界的になり、現在13カ国15カ所にコクランセンターがおかれている。日本にはネットワークであるJANCOC(Japnese informal Network for the Cochrane Collaboration)がある(代表は津谷喜一郎東京医科歯科大学助教授)。
*8 二次資料
 MEDLINE誌等の生のアブストラクト集を一次資料と呼び、コクランライブラリーや「Best Evidence」、「UptoDate」等の研究・臨床テーマ別にメタアナリシスや系統的なレビューを行って吟味されたものを二次資料という。臨床の現場では、一次資料で治療テーマ別に沢山のアブストラクトを読んで自分でエビデンスの価値などを判断して、対応を決定して行くことはとうてい出来ない。
 そこで、既に吟味された二次資料を使えば臨床の現場でも使えるということで、実は代替医療(鍼治療を含む)においてもFACT誌という二次資料があり、近々医道の日本社でその訳本が出たり、医道の日本誌上に掲載されるということである。

<引用文献>
1)浜 六郎 [プラバスタチン(メバロチン)は本当にEvidence-Basedか?」
  正しい治療と薬の情報 医薬品・治療研究会 vol.14 No.6 1999
2)高原 亮治 「EBMは医療費削減戦略の一環ではないか、という誤解」
  EBMジャーナル創刊号 p54-58 中山書店 jan 2000
3)丹後 俊郎 「研究の種類に応じたデータのまとめ方」
  日本消化器病学会誌 日本消化器学会 95(5) 412-418 1998
4)丹後 俊郎 「これからの医学研究に必須な統計技法」
  日本消化器病学会誌 日本消化器学会 96(12) 1365-1374 1999
5)名郷 直樹 「Q6:EBMと代替医療との関係は」
 プライマリ・ケア誌 プライマリ・ケア学会 p44~45 Vol.23 No.1 mar 2000
6)別府宏圀 「コクランセンター」
  メディカル朝日 朝日新聞社 1994-6 p67-69

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