どこまで解った鍼灸の科学 EBMってなあに? その6

EBM ってなあに? 6
 小川 卓良

<開業鍼灸師でもでき得る臨床研究は>
 RCTやコホート研究は沢山の被験者と、充分な時間と費用が必要であり、開業鍼灸師単独で実施することは難しい。そこで開業鍼灸師でもできる臨床研究方法として最近(社)全日本鍼灸学会の学術大会などでも散見するようになったABA研究とか呼称されている1例研究がある。これはN-of-1試験*1という実験方法に分類される。要するに一人の患者にいろいろな治療法(N)を行って比較するというもので、被験者が少ない場合に用いられる実験方法である。

 例えば、標準的なあるいは今まで行ってきた治療法と新しい治療法を、ある期間(例えば2週間ずつ)ごとにランダムに割り付けて繰り返して行って統計的に比較しようというものである。よって、長期に治療が必要でかつ通ってくれる患者が対象となるし、患者は鍼灸師のいうとおりに受療してもらわない(例えば週3回ずつ常に受療する)と実験は成り立たない。そして、長期に渡るが、比較的クリアに変化する評価基準で評価しないと余程効果に差が無い限りはみんなネガティブデータになる恐れがある。鍼灸師ができる評価基準や治療対象の中にこの条件に合致するものがあるかどうか、見つけるのはそう容易でない。
そして、対照に無治療を入れることは臨床家としてはできないし、倫理的*2にするべきでないので、どうしても治療法の比較というレベルの研究になるだろうし、何よりも重要なのは、患者のコンプライアンス*3が非常に高くないとできないことである。このように考えると、被験者を揃えにくい開業鍼灸師にとって一見非常に実行可能な実験方法に見えるが、数々の条件があってそれをクリアする対象はそう多くない。

 以前、プライマリ・ケア学会東京支部副支部長で武蔵野医師会の新野稔氏は、「開業医でも大学病院の研究に負けない研究ができる」と主張し、それは一人の患者を一人の医師が長期に渡って(10年以上)観察できる点であるということである。大学病院は、担当医が度々替わって、患者を診るというよりは、カルテの数字や画像を診ているというのが言い難いことであるが本当であろう。それに対して開業医はいわゆる「かかりつけ医」であり、20年・30年の長期に渡って一人の患者を人間として全人的に観察することは可能である。この観察の意味であるが、数字に表れない顔色・態度・声の調子などの変化はもちろん、住宅周辺や・家庭環境の変化なども通常知り得る立場にいるのでこういうデータも含まれる。このような立場で長期に渡って一人一人の患者を観察することによって、いろいろな事実(定説とは全く違う)を発見することがあり得るだろう。サリドマイドやSMONはこういう立場の医師が発表した1例研究から発見された。鍼灸師でも入念なカルテの記載と観察により、鍼灸学の発展に繋がるような特異なケースに遭遇する可能性は決して低くない。(質的研究:本誌4月号その2参照)

 開業鍼灸師でもできる研究としては、(社)全日本鍼灸学会研究部が行っている多施設での研究があるが、薬効を調べる場合と違って治療法の差という壁があり、そう簡単でないが(学会では間接灸を治療法としてこの問題に対処した)、それは沢山の鍼灸師の参加によりそのバイアスはかなり小さくすることが可能であろうが、これも簡単にできることではない。

 そう考えていくと、確かに開業鍼灸師ではエビデンスの質が高い臨床実験を行うことは簡単ではないが、地道に長い年月を掛ければ決して不可能ではない。ただ、長年に渡ってデータを集積して、いざ検定したらネガティブだったなんて結果になったらさぞがっかりするだろうなあ!そうならないためには、予備実験を繰り返し行って、確率が高い方向性を定めて行うことが肝心である。

<治療方法があるということ、または経穴を使うということは治せるということとは違う>
 さて、今までの鍼灸治療学・臨床学の教科書や指導書では、いわゆる特効穴や、足の三里や三陰交のように頻繁に使われる経穴などが治療穴として当たり前のように記載されているし、その他の種々の文献においても症状が同じならば治療経穴も共通していることが多い。
 前号の(6)エビデンスを捜す方法についての中で、まず最初に教科書を探せということを書いたが、教科書(学校の教科書だけを意味せず、一般的に専門家の中で良く読まれている書等も含む)には、エビデンスの基づいた治療方法が書いてあるわけではない。西洋医学においては、教科書に書かれていることは、批判は多々あったり、不満な部分も沢山あっても、副作用の問題や追試で思うような効果が上がらなかったりした治療法・定説は徐々に淘汰され、少しずつ改善されているので教科書はそれなりに信用できる。

 しかし、鍼灸の分野では古典を引き合いに出すまでもなく、そういう改訂はほとんど行われていない。そればかりか、新しい治療法や診察法がどんどん生まれてきて、それらはそれぞれそれなりに市民権を得てきて、学生諸君にとっては何を信じて良いのか分からない時代になってきている。いわゆる「何でもあり」である。

 では、学校の教科書には何が書いてあるのであろうか。以前、(社)東洋療法学校協会発行の教科書『臨床各論』の執筆を担当した方に、「症状ごとに治療穴名が書かれているが、その経穴を使うと良いという根拠は何ですか?」という質問をしたことがある。そうしたら、その方は「経穴名は書きたくないのが本音だが、鍼灸臨床の教科書に経穴名を書かないわけにはいかない。もし貴方だったらどうする?」と逆に切り替えされた。学校の教科書というのは、それなりに重みがあるので、そこに記載するというのは充分な吟味と学会・教育界などのコンセサンスが必要である。鍼灸はいろいろな立場があり、書きようによってはどんな経穴でも書ける(何でもあり)し、同様の意味で何も書けない。実際に、学会や教育界のコンセンサスを得ようと、委員会を開催し、症状ごとにワーキンググループを作って作業していくとなると、多分全体に統一性のないものが叩き台として出され、とても全体のコンセンサスを得ることは出来ない代物になるか、委員会自体が空中分解してしまうのは目に見えている。

 逆質問に対し、過去の様々な文献を調査して、よく使われている経穴を記載するしかないのでしょう(これは本誌に連載していた『愁訴からのアプローチ』で採用している方法である)と答えたら、その方も全く同じですとお答えになり、使用頻度の多いトップ10の経穴を掲載したということであった。

 これらの経穴の中には、古典(臓腑・経絡・五行論など)や中医学の理論及び穴性から導かれたものもあれば、経験的・臨床的に効くということで使われているもの、いわゆる大家が主張している経穴、神経・筋肉・血管などを考慮して考えられた経穴などが混在している。すなわち、理論的には全く一貫してない。理論的な問題はさておき、実際に効けば問題ないわけであるが、そのエビデンスは全くないのが現状である。

 講習会などで、‥‥の症状や‥‥病には、この経穴を使うとか、この経穴に治療する、またはこれで解決するというどちらかというと曖昧な表現をされる方が非常に多い。かくいう私もそうである。心の隅に、「この経穴で治る」とは言い切れない、と思っているからで、どうしても「この経穴を使う」という表現になってしまう。聞いている方が勝手に「その経穴で治るんだ」と解釈してくれているので講習会は成り立ち、お土産を差し上げることになる。もちろん、「この経穴で治る」とは言い切れないと思っているのは心の隅であり、多くは自分自身が信じていたり、経験上確信を持っている部分の方が大きいわけであるが、それでもそれは100%ではないことも知っているのである。

 言うなれば、治療上使う経穴は鍼灸師の信念(信じる理論等)と思いこみ(経験上効いたという)で選択されているのが実状である。経験上効いたということは、常に言われていることなので改めて言うこともないと思うが、念のため記述すると、第一に治った記憶の方が鮮明で残りやすいが治らなかった記憶は忘れ去られるということ、第二に治らなかった人は脱落するだけで、治らなかったと文句を言う人は非常に少ないので、治らなかったという事実は記憶の対象すらならないが、治った場合には感謝されることが多く、良い記憶として残り続けるということである。
 だから経験上という言葉は、治った事実がある(これも他の治療や患者の養生と努力及び自然治癒のせいかもしれないが)というだけで、100%はもちろん、治る確率が高いという保証はどこにもない。ただし、治ったという事実が無いよりもあるだけ、そしてその数が多ければ多いほどましであることはもちろんであるが。

 私自身、ほぼ100%の確率で治っていると確信した治療法があり、90%以上治っていれば対照群なんぞ無くても文句無いだろうと思いつつ本格的にデータを取ってみたら、70%くらいしかなく、これじゃ発表できないとがっかりした経験があった。(ストレプトマイシンは唯一RCTをしてない薬剤だそうで、あまりにも効果が大きく明らかな場合には対照群は必要ないということ)

 経験上という言葉の中には脱落例についての意識の問題がある。私の父は、来なくなった患者は全部治ったと思い込んでいた(多分心底思っていたと思われる節がある)。過去のカルテを診て、一回しか来てない患者は「ほら一回で治っているじゃないか」というのである。確かに、一回しか来なかった患者が再診で来た場合に、「以前は一回で治りました。」という人がかなりいることも事実である。また、患者自身も治療経験をオーバーに言って(思いこんで)、実際は数回で治ったのに、一回で治ったという思い違いをしている人は多々いる。実際に新患が「‥‥さんが一回で治ったというので来院しました。私も一回で治してくださいますね。」なんて言われることはしばしばである。だから鍼灸師の方もそうなりがちなのかもしれないが、私なんぞは父に比べたら自信がないから、一回で来なかった患者は、「治療結果に不満を持ってこないんだ」という具合にしか取れてない。これも情けないと言えば非常に情けない。

 治らないことが沢山あることを知って「必ず治る」と言えば嘘・詐欺の類になるが、全部治ると信じて「必ず治る」と言っている分にはそうならないだろうし、本人は嘘を言っていると思ってなく、自信にあふれた態度で確信を持って接するために、患者にとってはとても頼もしく見えるので、「この人なら私の病気を治してくれる」と感じて、通常より高い治療効果が出ることも考えられる。これは、カリスマ効果とでも命名しますか。

 似ている臨床効果に、自分は特別扱いされていると患者が思うと治療効果が上がることがあるが、これはホーソン効果*4といわれている。
 その他臨床面では、笑顔効果、優しい手さばき(手当たり)効果、優しい言葉使い効果、痛くなく気持ち良い快適効果、治療室の雰囲気が良いとかBGMや香りが良いというような環境効果、嫁の悪口を言ってすっきりするガス抜き効果など様々な要因があり、これらをうまく使うと良い臨床家になり患者が増えること請け合いである。鍼灸治療の効果は、鍼灸の効果、自然治癒、治療を受けたという効果、養生や指導の成果、患者の意識改革による効果などに加え、これらの効果が加算される。加算されると書いたが、加算というのはデカルト流要素還元主義での話しで、私は相乗効果があると信じているので多分うまくいくととんでもない効果が生じることも多々あると思う。私は、自分も含めて多くの鍼灸師が奇跡的な治験をお持ちなことを見聞するが、それは決して思いこみだけとは思わない。そして既にお気づきの方もいらっしゃると思うが、宗教を含め、リラクセーション、瞑想・禅、アロマテラピーなど様々ないわゆる代替療法といわれるものは、これらの効果を一つの目的としていることがわかる。

 EBMでは、現在のところ治療効果だけを浮き出すために盲検法を用いたりしているが、そのうち逆転して他の効果を浮き彫りにする手法や全部丸めて総合効果を検討するというようなことも行われるのではないかと期待している。だいたい今までは医学効果を重視しすぎて、それらの臨床的効果を軽視しすぎているきらいがある。患者の立場に立てば、大事なのは医学ではなく、治ることだから。

 さて、治療に使用する経穴の話しに戻ると、エビデンスがないのなら、経験に頼るというのは決して悪いことではない。昭和40年代に経絡治療をめぐる論争があったが、当時大阪医科大学助教授の藤原知氏は「無数の患者の生体を無数の医師達が観察するなかで、歴史的に生み出されてきたものが科学でないとすれば一体科学とは何か?」1)という問いを投げかけた。この反論にコペルニクスの転回をあげることは簡単であるが、コペ転だけでは不十分である。何故なら、現代西洋医学が地動説ならば、天動説である東洋医学が何故無くならないのか?という問いに答えられないからで、地動説は未だ現れてない(現れるという保証はない)と考えるのが自然であるからである。

 よって、『教科書』に記載された経穴も『愁訴からのアプローチ』に記載されている経穴もそれなりに重みのあるものといえる。ただもう一度強調すると「経穴を使うということ、または治療法が用意されているということはそのまま治るということではない」ということで、今の段階では最も治るだろうと経験的に予想される(信じられる)経穴ないし治療法であるということである。少なくとも一人の意見でないというところに価値がある。

 ③ 横断的研究*5と縦断的研究*6
 その他、鍼灸師ができる研究に横断的研究がある。横断的研究とは、例えば鍼灸治療が良く行われている地方と、あまり行われてない地方での有病率や死亡率などを調べて、有意な結果が出れば鍼灸治療は健康管理・未病治に有用である可能性が高いということがいえる、というような研究のことで一般的な疫学調査や大部分のアンケート調査等もこれに含まれる。こういう研究は、鍼灸師でもできるが、少くない費用とマンパワーがかかることが多少の欠点である。
 縦断的研究とは、横断的研究に対してできた言葉で、通常のRCTやコホート研究はこれにあたる。すなわち横断的研究とは、ある時点でのある集団の状態を調査するものであるのに対し、縦断的研究とは時系列的に追っかけていく研究を意味する。
 愛媛県立東洋医学研究所の光藤英彦氏が提唱している、時系列分析に基づく診療等はさしずめ、後ろ向きの縦断的研究ということになろうが、これは前向き研究にも使うことができるし、多数集まればちょっとしたエビデンスになり得る手法で今後に大いに期待したい。 つづく

<今日のキーワード>

*1 N-of-1試験:Nはnumberの略で、1は一人を表している。すなわち、一人の患者に複数の試験をする研究のこと。つまり、一人の患者に対してラン  ダムにいろいろな処置を与えて、それぞれの処置の効果を統計的に評価する研究デザインのことで、少ない対象者で比較試験をするために開発された。
 鍼灸治療でいえば、1ヶ月鍼治療をすしたら、次の1ヶ月は鍼治療をしないで検査だけにして、次の1ヶ月はランダムに割り付けてという具合に行っていく。ABA研究などというのがこれにあたる。
 ただし、この研究を行うにあたっては幾つかの条件があり、何でもかんでも良いということではない。まず、症状が臨床的に安定していることが必須  である。元々この研究は、精神病院での研究で開発されたように聞いているが、例えば、急性腰痛で一刻も早く治りたくて来ている患者に対して、ランダムで決めたといえ、ある一定期間治療もせずに帰す等ということは臨床家としては出来ない、というより倫理的にしてはならないことであるし、患者が再び来院する可能性も少ないだろう。すなわち急性の患者には適応できない。
 次の要件としては、比較的早期に結果が出ることが上げらる。これは、一人の患者に、治療しなかったり、いろいろな処置をしたりを繰り返すわけであり、その繰り返しがデータとなっていくわけであるから、多くのデータを得るためには、その処置による効果が早期に発現するものでなければならないからである。鍼灸治療の場合に、急性期患者でなく、症状が安定している慢性期患者を対象とする場合に、この要件を満たせるものがあるかどうか難しい。
 また、効果を評価した後、次の割付を行うときに評価者と違う第三者によって無作為割付が保証されてないと、経過によって次の割付が意図的に割り付けられたと思われる恐れがありますので、評価する人と割付をする人が盲検化されてないといけないということもあります。
 そして、最も大事なことは、患者にこういう実験をするというインフォームドコンセントが完全になされて完全なる同意と、コンプライアンス*2が保証されてなければなりません。

*2 倫理的:RCTでもいえることであるが、苦痛があり治療を求めて来る患者にプラセボなどの無治療を行うことは倫理的に問題である。ただ、RCTでは、有効と思われる新しい治療法にあたる確率とプラセボに当たる確率は半々であるということ、今行われているのがどちらか分からないという点は鍼灸治療におけるN-of-1試験の無治療とは違う。
 倫理性の問題に対して、国立公衆衛生院の丹後俊郎氏は「治療法A、Bのどちらが有効か誰もが客観的に評価できなければRCTには倫理上に制約はない」と述べ、RCTを行わず誤った結果を導き、「将来その誤った結果に基づいて発生する無駄な研究に費やされる不幸な研究者、費用、時間などの地球規模の損失、並びに有効でない治療法を受ける不幸な患者達」を考えると、どちらが倫理的に問題があるか明らかであると説いている2)。
 ただし、丹後氏はあくまでも二つの治療法の比較の場合を言っているのであって、プラセボに関しては述べてない。
また、RCTを行うにしてもインフォームドコンセントが重要となり、患者自身が、有効でない治療ないしプラセボを施される確率が1/2もあることを承知した上で実験に参加するわけであるから、非常に意識の高い人たちでなければ被験者になり得ない。どういう意識かというと、自分はどの様な治療を受けるか分からないし、良いと思われる治療にしても現在のところ本当に効くか効かないか分からないが、この実験の結果、自分の子供達や後世に人たちには良い治療が施される可能性は高いので、そのために実験に参加するという意識である。欧米ではこのような意識の高い人が沢山いるということである。果たして、後世に膨大な借金をして現世利益だけを考えているような日本人に、このような意識を持っている人はどれほどいるのだろうか。日本でRCTが沢山行われない本当の理由は、この点にあるような気がしてならない。もちろん杞憂であると信じてはいるが。

*3 コンプライアンス(Compliance):申し出や要求にそうことの意で、医療の現場では患者が医師(鍼灸師)の指示とおりに生活するかどうか、具体的には薬の実験であれば、指示とおりに服用するかどうか、養生の研究であれば指示とおり養生しているかどうかという意味で、コンプライアンスが高いというのは、患者に薬の服用や実験の意義が良く理解されて、指示とおりにされているということを意味している。比較試験をしているときにこのコンプライアンスが低く、かつそれを評価する側が知らないとすると効果が正しく検出されないので問題である。ましてやN-of-1試験の様にたった一人の被験者の場合はなおさらである。十分な説明と実験の意義を理解していただき、積極的に実験に参加していくという姿勢を持ってもらうことが重要となる。

*4 ホーソン効果:特別な注意が払われていると感じる場合に生じる心理効果で、臨床的にはプラス効果となる。
昔の話で恐縮だが、30数年前、今は無くなったが赤坂に超高級クラブのミカドがオープンした。ここには、モデルや女優などそうそうたる美女が沢山いて初年度の売り上げNo.1とNo.2のホステスに高級スポーツカーが贈呈された。有名な女性も何人かいたので、その中の誰かが取るのだろうという大方の予想は見事に外れて、意外にも車を獲得したのはそれほど美人でもない極く普通の女性達であった。その秘訣はというと、毎日三大新聞と日経を読み(鍼灸師では生涯研修ということになるか)お客との話題作りをしたということであるが、これだけでは誰でもできそうである。実は彼女らが行ったのは、毎日名刺を並べ、お客さん通しの関係とその時の話題を名刺に記載し、一度でも接したお客の顔と趣味などを毎日思い出していたそうである。そして、一度行っただけの店に数カ月ぶり行って「あら‥‥さん、お元気ですかあの時の‥‥はどうなりました。」と美女に言われてみなさい。もう感激して、この子は自分に興味があるに違いないと勝手に思いこんで、それから店に通うこと必至である。鍼灸師でも毎日カルテをひっくり返して、患者さんを思いだして見ると同じ様な効果があるのではないでしょうか。町で偶然会ったときに「‥‥さん、この前の腰痛はどうしました?」等と声をかけるのである。名前を覚えてもらったというだけで通常は大感激で、次何かあったら絶対‥‥先生の所へ行こうと思うこと必至である。
医療はサービス業であるというと、憤慨する医師がいるが、磨きをかけるものは違っても原点は一緒である。事実、分類はサービス業である。

*5 横断的研究(cross sectional survey):その時点における(場合によっては過去に遡って)集団の特性を調査する研究で、一般的な疫学調査なども含まれる。例えば、「この地域では、この病気の罹患率はどのくらいか」等の調査するものである。

*6 縦断的研究:通常のRCTやコホート研究のように時間軸に添って行っていく研究のことで、横断的研究に対して付けられた名前であり、一般的な呼称ではない。

<引用文献>
 1)小川卓良 「新しい”中国医学”確立のために‥‥経絡論争の現代的意義を探る」 CHINESE MEDICINE Vol.1 No.2 p153 1978年
 2)丹後俊郎 「研究の種類に応じたデータのまとめ方」
  日本消化器学病学会雑誌 95巻 5号 p415 1998年5月

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