学会

黄帝内経・難経等の医古文の論考

「未病」

 『素問』四気調神大論篇には「聖人は、完全に発病してしまった患者を治療するのではなく、当然発病するであろうことを予測し、先手を打って治療を施すものである。天下を治める場合においては、世の中が乱れてから手をつけるのではなく、乱世となることを前もって察知し、未然に防ぐ政治を行うものである。病になりきった後ではどんな良薬を与えても、或いは乱世になった後で善政を布いても、それはちょうど喉が渇いてから井戸を掘ったり、戦闘が始まってから兵器を作ったりするようなもので手遅れである」と記載され、病気の前兆を察知して早めに治療を行えと述べている。
 『素問』刺熱篇には、「五臓の熱病の時は、患者の顔面の特定部位に赤い発色が起こるので、発熱などの症状が無くても、この発色を望診したならば治療をせよ。これを『未病を治す』という」と述べている。
 『霊枢』逆順篇には「優れた医者は、未だ病が顕わでない内にその異変を察知して前もって治療を行い、すでに病邪が盛大になった時には手をつけないものだ」と、『素問』とほぼ同様のことを述べている。
 『難経』七十七難には若干違った解釈で「“上工は未病を治す”とは、優れた医人は病があることを知ったら、それが次にどのような病態になるのか、経過や病の発展を予測して悪化しないように治療をするという意味で、まあまあの医者である中工は、今ある病気の状態を治療するのみである」と述べていて、病になる前ではなく、病が既にあってもその進行を予測して治療をするのが上工であると述べている。
 日本未病学会では「未病」を「自覚症状はないが検査では異常がある状態」と「自覚症状はあるが検査では異常がない状態」と定義しており、これは『素問』や『霊枢』の考えを現代医学的に解釈したものだろう。しかし実際は、健診で異常が見つかれば自覚症状はなくても「病気」を意識するし、自覚症状があれば検査で異常はなくても「病気」を意識する。であれば、未病治は健康維持・増進のための治療ではなく、病気の兆しを早く察知して深刻な状態にならないうちに適切な治療をすることと言った方が正しいかもしれない。だが、一般的に考えて「完全に健康」と言える人はいないので、健康管理の治療としても良いだろう。
 現代の高齢化社会では、要介護状態になる前の介護予防に鍼灸治療が有効だということを国民に広く知らしめたいが、そのエビデンスが欲しいものだ。

(2019年記)

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。