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症例から学ぶ悪性疾患の鑑別法-その26

・・・・キーワード11「癌の可能性が高い。貴方ならどうする?-10」・・・・
<悪性の可能性を正直に患者さんに伝えると・・・・>
 先月、娘の上司で肺癌の可能性が高い<症例44>にその旨を伝える手紙を差し上げたところ、早速丁重な電話を頂いた。とりあえずは「気にかけていただいたことへの感謝と時間ができたらこちらに来院するか、病院に行く」ということであったが、「肝臓が悪くなると頚凝りがひどくなることがあるのですか」という認識で呼吸器(外科)での精査を勧めたのにかかわらず、肺癌の可能性は頭に全くなく「飲み過ぎ」だけが気になっているようで、緊急性を感じてないようであった。ここでそれ以上突っ込むのもどうかと思い、とりあえずは治療に来るか精査に行くということなので、そのままにしたが、娘の所属が違うので会えないということもあり、その後の経過はまだわからない。
 前号で紹介した肺癌の可能性が半分くらいあると思われた寿司屋経営の<症例52>は某大学病院において肺癌ではなく頸椎の2・3番間(?)の変形に依るものと診断されたということである。そして、頚を前屈左側屈位で左上腕内側に放散した痛みは1回目で半減し、2・3回の治療で治ってしまったのであるが、頸椎2・3番間の変形で上腕内側へ放散痛があるとは考えにくい。ここで問題は、肺癌の可能性について何科で診断されたのか、どういう診断方法で診断されたである。もし整形外科に行って、そこだけで診断されたのであるのならば非常に問題である。そして、患者が訴える症状よりも画像診断を優先するという姿が見える。
 しかしながら、2週間前の突然の発症(但し以前より咳や血痰があった)と喫煙歴がないことで「肺癌ではない」という診断は受け入れやすいが、単に胸部X­pだけの診断だとあまり当てにはならない。今後更に経過を診る必要がありそうである。
 そこで、更にこの患者(調子がよいので来院していない)の知人に直接患者自身に確認していただいたところ、整形外科で診断を受けたのであるが1年ほど前に検診で肺のX­p写真を撮っており、それと現在の写真を比較しての診断ということでまず間違いが無さそうなので一安心であるが、前屈左側屈位で左上腕内側に放散した痛みの機序については病院の説明では納得できないのでどうもすっきりしない。
 さて、症例44と52の中間くらい肺癌の可能性がある<症例47>の方は、お話しをしてから1ヶ月以上経つけれどもまだ来院も報告もない。しかしながら、あまりしつこく尋ねるのも良くないので、もう少し機会を見ることにする。
<悪性疾患の可能性がある場合の対応>
 さて、悪性疾患の可能性があると判断した時の対応であるが今までの症例でおわかりのように基本的には正直にお話しした方が、信頼を得やすいしトラブルを回避できる確率も高いであろう。もちろん、施術者自身のストレスにもなりがたい。ただ、鍼灸治療で癌の治療もできる可能性があるとはいっても明確なエビデンスがあるわけではなく、また、西洋医学でも同様であるとはいっても、ほとんどは患者を手放す(収入減となる)ことになるのでなかなか躊躇するのが本音であろう。
<正直に可能性を話した場合の生臭い損得勘定>
 本シリーズ17で紹介した、熊本の大串先生の症例を再掲する。
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<症例32>59歳 男性 昭和36年夏
 お腹の調子が悪いと訴えて来院する。診てみると癌の可能性が高い塊が手に触れる。癌と云う病名は本人には云いにくい。家人に多分胃癌で半年位の余命かもしれないと告げた。手遅れで手の施し様もなく通り一辺の治療だけした。その秋やはり癌で他界されて後に、急に私の評判が良くなった。それは、今迄誰にも告げられなかった病名を私が事前に耳打ちしたことによるだけなのに(医者でなくとも医療の心得が有れば誰でも判るようなことなのに)、皮肉な現象だ。1)
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 この症例は大串先生が疑いではなくほぼ確信に近い形で診断された(ということはほぼ手遅れという診断もされたと思う)ので、躊躇無く家人に伝えることができたのであろうが、このことによって逆に評判が良くなったと記されている。
 私自身も疑いを正直に言うことによって、逆に信頼を得たり、診断してもらうならば私に、という患者さんや紹介が増えたのも事実である。しかしながら、その逆(鍼灸師のくせに医者のようなことをいう批判とか、そうでなかった時に信頼を無くすことなど)はわからないし、言ったことによる損失や言わなかったことによる利益などは計りようがないのでEBM的に言えば得失は不明である。
 同様に患者にとっても言われたことによる精神的ショックや手遅れの時での治療による苦痛なども考え合わせると、鍼灸師が臨床の場で癌を鑑別できる場合はむしろ手遅れの場合が多いので、全て早めに知っていた方が良いとも言い切れないのではないだろうか。
<医療人並びに鍼灸師としてのプライドと誠意>
しかし、何と言っても患者さんのためにも医療人としてのプライドとしても最低限「疑いを持ったのに言いそびれて手遅れにしてしまった」という状況だけは断じて避けたいので、手遅れでは無さそうという時には躊躇無く即刻言うことにしている(しかし、本音を言うとまだ体力・抵抗力がしっかりある早期こそ鍼灸治療で治したいのであるが、現時点ではそうはいかないのでやむを得ない)。
 「鍼灸師に診断権がないので誤診しても罪に問われない」ということはあるにしても、道義的責任はもちろんのこと、「癌を見逃して手遅れにしてしまった」という悪評は、またたく間に地域に広がってしまうであろうから、患者は激減すること間違いなしである。その上に刑事罰は問われないにしても、民事での訴訟を起こされると負ける可能性は高いと思われる。
<手遅れと思われる場合>
 また、明らかに「手遅れ」と思われる場合には、即座にお話ししないで、少し引っ張って鍼灸治療の効果を感じてもらい、鍼灸治療の利点や西洋医学治療の問題点などを多方面からお話しして後に「疑い」をお話した方が患者さんのためにも良いように思われる。しかし、これも医師から見れば「とんでもない思い上がり」ということになるのであろうが、鍼灸師の立場から言えば、新しい抗癌剤の第1相・第2相の治験*1の被験者になったり、無節操な抗癌剤の投与や放射線被爆の犠牲にならないともいえず、また、鍼灸治療での可能性を考えると「手遅れ⇒即座に西洋医学」にはしたくない。あくまでも「患者さんに鍼灸治療を体験的にも良く知っていただいた上で、鍼灸治療と西洋医学のどちらか、或いは両方を選択していただこう」という趣旨である。そのために「手遅れ」の可能性が大きい故に1・2ヶ月くらいの期間を鍼灸治療単独で行う(引っ張る)ことに道義的な問題はないのではないかと私は考える。
<癌の可能性が高いと判断したのに治療を継続して責任を問われないか?>
 ただし、問題がないわけではない。それは、こちらでは既に手遅れと判断しても、患者サイドではそうは思わないで民事事件に発展する恐れが皆無ではないからである。この問題を回避するためには、その時点で医師の診断を受けておくのが最善であるが、それでは鍼灸治療を受療していただく機会がほとんどなくなってしまう。鍼灸治療に理解のある医師の診断を受けていただきたいが、その様な医師は限られている。
 医師の診断を受けられない場合のセーフティネットはカルテである。詳細に手遅れと判断した理由を記載しておくことによって責任を免れることは可能である。ただし、第三者にも理解できる言葉・概念である事が必要で、自分だけや流派だけしか分からない言葉ではもちろんのこと、東洋医学だけでも駄目である。西洋医学的に、しかも医学一般で了解されている事柄である必要がある。手前味噌になるが、本シリーズの前半で「鍼灸師でもできる癌の鑑別法」について述べてきたが、「手遅れ」の判断がこの内容に則っているものであるならば、まず負けることはない。ただし、それだけでも不十分で、「手遅れ」と判断した時に何故即座にそのことを患者に知らしめなかったのか、という問題も残る。この場合に鍼灸治療の良さを分かってもらうために1ヶ月治療をしたという理由では駄目であろう。あくまでも「手遅れ」という判断を確認するために、そして治療の効果を確認するために最低限必要な期間であったことと、この程度の期間ならば「より手遅れ」にする可能性は低いと判断したことを付け加えるのならば、「診断権がない」こともあり責任を問われることはまず少ないのではないかと考える。
<手遅れかもしれないが手術で助かるかもしれない・・時はどうする>
 問題は「手遅れかもしれないが手術で助かるかもしれない」という場合である。これは「手遅れにはしたくない」という趣旨ではむしろ早期の場合よりも即刻西洋医学に委ねて精査をするように勧告すべきなのであろう。しかし、悩まされる状況で「手遅れ」の場合と同様に患者さんに鍼灸治療を選択肢の一つとして頂きたい、という想いはある。問題はそのための期間がどれくらい許されるかであるがダブリングの問題を考えると一般的な癌で1ヶ月、進行の遅い癌の可能性が高ければ2ヶ月くらいが限界ではないだろうか。
 そして、道義的にも医療人としてのプライドの問題としても鍼灸治療をしたけれども「助けられないで手遅れにした」場合には、多いに問題であるし民事は更に怖い。よって、よほどの自信がなければ即刻病院に委ねた方が無難である。
 よって、どのような場合でも「悪性の可能性を見いだしたのならば」初心者は、とりあえずそのことを正直に患者さんへ伝えた方が無難であろう。しかし、鑑別力及び治療に自身がある方は、ここで記載したような方法をお取りになることを選択肢とされても良いと思われるが、あくまでも患者さん及びその関係者とのコミュニケーションが良好であることが前提になる。全ては「Do not for me,do for the patient」である。
さて、ここで前回からの宿題を考えてみる。
<前回の宿題>
 コレステロール値を下げる薬を飲んだら、何故元気がなくなったり、風邪を引きやすくなったのであろうか?ということと、何故医師がコレステロ-ル値が依然として高いのみ関わらず、服用中止に同意したのであろうか?
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 「J­LIT」(日本脂質介入試験)という大規模な高脂血症及び高脂血症治療薬(シンバスチン)の臨床試験が1994年から5年間に亘って行われた。これ研究は、総コレステロール数値と死亡者数、心筋梗塞死亡者数、ガン死亡者数の関係について調査したもので、「コレステロール低下剤服用中の全国52421人を6年間に渡り追跡調査した」という非常に大規模な臨床試験である。この研究では様々なことが明白になり、今まで考えられてきたことが色々覆されたのである。詳細は後述するとして、この結果を受けて、まずコレステロール値の上限が220mg/dlから240mg/dlに変更されたのであるが、未だに220mg/dlを上限としている医療機関は何故か意外と多い。
 元々コレステロールは人間に不可欠な物質である。第一に、細胞の構造や機能を保つために必須物質であり、第二に多くのホルモンの原料であり、第三に脂溶性ビタミンの運搬役であり、第四に蛋白質の代替物質として生体の損傷修復に使われ、第五に胆汁の原料である等、生体になくてはならない物質である。
 また、コレステロールは体内で18段階の反応を経て合成される。コレステロール低下剤は、それらのどこかの過程で合成を阻害する目的で作られる。しかし、この18段階の反応のどこかで止めればコレステロールは出来ないかもしれないが、そのことによって他に影響を及ぼす中間産物が出来なくなったり、止められた反応以後の代謝の働きがなくなったために全体のバランスが狂ったりすることは大いに考えられる。
 事実、メバロチン(現在使用される代表的なコレステロール低下剤)が出る前には一時使用されたコレステロール低下剤は、有効性よりも遥かに副作用の方が強く出て、結局使用停止となった経緯があったのである。
<コレステロールは何故悪者扱いになったのであろうか?>
 我々鍼灸師を初めとする医療従事者は元より、一般の人でも中学校か高校でコレステロールが多いと血管が変性を起こして動脈硬化になる、ということを学んできており、それを当然のことと受け止めていた。よって、コレステロールは身体に必要なもの、という認識よりも、むしろ悪者扱いにされてきた経緯があるのではないだろうか。
 このコレステロール悪玉説の由来は、1913年にロシアの病理学者ニコライ アニチコワ(Anitschkow)らが、ウサギにコレステロールを与えた実験を行い、大動脈にコレステロールが沈着してアテローム変性を起こし動脈硬化が起こったことから、「コレステロールが動脈硬化の原因である」と発表したことに端を発する。私自身も「当然の事実」として長い間受け入れていた。しかし、この実験には大変大きな問題があったのである。
 次回までの問題として、このアニチコワの実験の問題点を考えていただきたい。
<コレステロールと免疫>
 それはともかく、前回の問題でコレステロール値が240mg/dlを遥かに超える400mg/dlであり、当然のようにコレステロール低下剤を服用していたのにかかわらず、体調が悪いからといって、何故医師は服用中士に同意したのであろうか。
 一言でいうと、コレステロールが高いほど免疫力が増し、低いほど免疫力が下がるからである。そのために風邪を引きやすくなったり、活動力が低下したりしたのである。
 NIPPON DATA80という研究が1980年より行われ合計1万8千人以上を10年20年追跡した研究がある。この研究でわかったことの一つにコレステロール値が280mg/dl以上の群と160mg/dl以下の群を比較すると癌での死亡率が4倍以上160mg/dl群の方が多いという驚異的な結果が示されたのである。コレステロール値が低いほど癌の発症も死亡も多いという結果であるが、統計では相関関係は教えてくれるけれども、因果関係を教えてくれないので、コレステロール値が低いから癌になって死亡していく確率が高くなるのか、癌になったからコレステロール値が低くなったのかはまだ不明であるので断定してはいけないが、コレステロール値の高低と免疫力には関係があることだけは確かそうである。
 事実、前回示した<症例51>はコレステロール低下剤を服用した途端に元気がなくなり、風邪を引きやすくなったのである。よって、医師はこのNIPPON DATA80の研究成果を知っていたが故にコレステロール低下剤の服用中止に同意したと考えられるのである。
 もう一つ次号までの宿題をお出しします。コレステロールというと必ず出てくるのが卵である。卵は1個に約250mg/dlのコレステロールを含んでいる。そのために卵を食べるとコレステロール値が上がるので、なるべく卵を食べないようにという指導が良く行われている。中には卵を一つ食べる毎に血中コレステロール値は約15mg/dlずつ上昇するという計算式(ヘグステッドの式)まであるくらいである。では毎日卵を三つずつ(450mg/dlのコレステロール)食べると3週間位すると実際にコレステロール値は上昇するのであろうか?というのが問題であります。アテローム変性の実験の問題点を合わせて読者諸兄のご賢察をお願いします。
*1:第1相試験は、新しい抗癌剤などの毒性を確かめる治験のことで、末期癌患者が対象となる。第2相試験も同様に末期癌患者が対象で致死量の測定を行うための治験。何れも助けることを前提としていない。
1)小川卓良「症例から学ぶ悪性疾患の鑑別法-その17」 医道の日本誌65巻3号 2006

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