院長執筆・講演録

症例から学ぶ悪性疾患の鑑別法-その22

・・・・キーワード10「癌の可能性が高い。貴方ならどうする?-6」・・・・
 先日、親しい知人が上司を紹介してきた。まずこの症例から検討したい。
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<症例44> 男性 会社員 51歳 182cm 76kg 喫煙30本/日 飲酒 多量(がんがん)
 3年前から徐々に左頸から肩上部にかけて痛くなり、段々悪化し、今ではもぎ取りたいくらいに痛い。半年前からは上腕部まで痛みが降りてきて夜寝ている時もズキズキ痛むことがある。3w前には肩関節が動かなくなった(前日にゴルフ)が今は大分ましになった。マッサージに週1回いっており、直後はよいけどすぐに戻ってしまう。10年前より側湾があるためか左腰痛があり、年に1・2回痛くなる。体重はこの2・3年で5kg減っている。健診ではDM予備軍といわれ、血圧、中性脂肪、γGTPが高く、尿酸値も高いので痛風薬・降圧剤、糖尿病薬を服用している。
 頸のROMは全て正常。左肩関節は屈曲90°で引っかかるが180°まで挙上可、外転は160°迄で肩前面に痛みがある。後は水平位内転でやはり肩前面に痛みが出て、ADLでは結帯動作が辛いが他は問題ない。
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 昼も夜ももちろんで週末もゴルフで忙しい、という立場で週2回ほどの通院をご指示したのであるが初診から1週間経つが来院はまだない。この症例は、賢明なる読者諸兄が既にお気づきのように限りなく肺癌が疑わしい。階段状の悪化、夜間痛、体重減少、ROM正常(体動による悪化はない)で痛みが激しい、など全て進行性及び内臓性を示唆している。敢えていえば3年前からの発症ということで比較的最近とはいえないことくらいである。喫煙の30本は、煙草と酒は2倍の原則からいえば60本であるし、ブリンクマン・インデックス(注1)は30本であっても相当の値になる。また、一時飲酒が肺癌のリスクファクターといわれた時があるが、これは飲酒によって喫煙量が増えることによる交絡因子とわかり、肺癌のリスクファクターから除外されたが、「がんがん」飲む人は「めちゃめちゃ」に吸う人であるので30本はかなり疑わしい。
 それはともかく、肺癌の可能性が非常に高いのであるが、私はそのことをこの患者にいうことを躊躇ってしまい、初診時には告げなかった。今まではこのような場合には必ず患者に告げていたのに、ここでは躊躇したのである。それは親しい知人への配慮である。
 この時点で肺癌の可能性を告げて早速精査したところで、肺癌であったならば全く手遅れと思われることが一番の問題である。助かる見込みが高いのであれば、躊躇しないのだが、見込みがほとんどないのでまずは知人と相談してからと思ったわけである。また、もし患者に全てをお話しして、精査したら全然見当違いだったというのも紹介者の面子をつぶすのでこれもまずいかな、とも思ったのも事実である。第一、ご本人は痛み出した3年前の後に毎年1回は健診をしているし、病院には通院しているので全くその疑いを持っていないからなおさらである。
 紹介者の知人には5分5分ということで話をしたところ、「経過を診て確率が高まった時点でお話しをしてください」ということであったので少し経過(タイミング)を診ることにした。
 さて、この対応で良いのかどうかは実は問題である。厳密にいえば患者情報の守秘義務違反であるし、もし、この患者と知人が対立しているような立場であったら、大変な問題である。実際問題として、この知人は入社したばっかりでこの患者に世話になりっぱなしであったので、このような問題は全くないが、一般的には鍼灸院を紹介する関係であっても仲がよいとは限らないからである。
 このようなケースでもう1例紹介する。これは以前からちょこちょこ来ている患者さんで、その奥さんが来院した時の話である。奥さんが、「主人が昨日帰宅した時にろれつが回らなかったのよ。講演の途中でおかしくなって講演を止めたらしいの。今日は出社せずに家で寝てるわ」ということであった。ご主人は当時60歳くらい、やや肥満で高脂血症・高血圧症そして多血症であるので、すぐに脳血管障害を疑った。もし出血であったなら次があるので大変である。治療中の奥さんにそのことを告げ、私は直ちに患者が社長を務める会社の副社長に連絡して家に行ってもらい、入院手続きを取るように連絡した。この社長と副社長は共に創業者で長年の同士であり、私はこのお二人と個人的にもおつきあいしているので全く躊躇しなかった。この会社は社長の実力と副社長の側面支援で成り立っている会社で、株式会社とはいえある種ワンマン経営であったから、社長が倒れたとあっては株価は暴落する可能性が高い。当然私にも箝口令がひかれたが、もう12年も前の話なので時効と勝手に解釈して書かさせていただいた。当の社長は後遺症もほとんどなく助かり、株価は下がらず、私は感謝され、私の株が上がったのはもちろんであるが、厳密にはこれも法違反である。しかし、奥さんに委ねていては、手遅れになった可能性も高いので、これもやむを得ない処置であったのではないだろうか。
 症例44を紹介した知人は実は私の娘である。親子とはいえ患者情報を漏らしてはならないのは当然であるが、当事者であることと、親馬鹿がさせた行為でもある。娘に当の患者に来院するように側面支援を頼んでいるが、あまりいうと営業活動みたいで本当に難しい問題である。
 次に先月号の宿題を検討したい。問題は、この症例の経過はどうなったかである。
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<症例43> 48歳(初診時)男性 会社員(技術系) 171cm 65kg
 初診は平成5年3月で、左顔面麻痺(1ヶ月前)で症状は閉眼不全、食物がもれる、唇が吹けないなどで、顔面麻痺は順調に経過し、その他腰重、頸肩凝り、肘痛、肩関節痛などや時々胃もたれや空腹になるとしくしくしたりして胃の動きが悪いような気がする(消化性胃潰瘍の診断で潰瘍の薬と漢方の健胃剤、脳循環改善剤、VitB12を服用)等の症状があり、健康管理的に週1回に治療を継続する。10年後に胃の状態が良くないので禁酒をしたところ、胃症状が改善した。以後何度か胃の具合は悪くなるが禁酒で改善するという状態を何度か繰り返す。その10ヶ月後(平成16年3月)にスキーにいってから冷えたのか、胃が空腹になると張ってきてしくしくするという状態になる。便の状態や食欲は問題ない。鍼灸治療後は良好で2週間後からは胃症状は改善した。5月に毎年行っている成人病検診を受けたところ・・・・・・・・
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 この症例は、週1回の治療を10年以上に渡って継続している患者である。しかも、非常に真面目というか鍼灸治療を信頼していただいて、健康管理的にほぼ必ず週1回の治療を受療してきた患者である。そのような患者が、何と胃癌の宣告を受けたのである。
<鍼灸治療で癌を予防できるか>
 このシリーズに紹介してきた症例の中には長年治療をしている患者も何人か登場する。しかし、月に一回程度の来院とか、不定期来院、及び痛んだら来院して、治ったらしばらく来ない、というような患者がほとんどであった。この症例のようにコンプライアンス(注2)が良く、週1回の治療を継続している患者ではなかった。
本誌上で、以前「患者からの質問」シリーズを連載し、それが加筆されて「患者からのこんな質問Q&A」という本になり私が編者で医道の日本誌より出版した。そのQ102に「鍼灸は癌の予防に役に立ちますか」があり、私がそれに次のように答えている。
「さて、鍼灸治療を健康管理的に行うことによって癌を予防(一次予防)できるかというと、未だ状況証拠しかなく、全然わかってないのが現状である。鍼灸師仲間では、長年の患者で癌になった人はいないということを良く耳にするし、当然のことと認識している鍼灸師も多い。私自身も、週1回5年以上続けて来院している患者で癌になった人はいないが、見落としが全くないとは言い切れない。きちんとした実験計画を立てて実証してみる価値はあると思うが、多くの鍼灸師と多くの患者及び多くの非患者の協力が必要となり、実現は難しいかも知れない」1)
 また、前回のその21において紹介した2001年11月25日に行われた関東甲信越支部学術集会においても、週1回の鍼灸治療で癌を予防できるのか?または週1回の治療を継続している患者で癌が発症した人はいないのか?という質問があり、いないという鍼灸師もいたが、いると答えた鍼灸師もいた。私は当然いないと答えたのであったが、症例43はその2年半後のことであった。
 非常にショックで、やけ酒を飲んだ記憶がある。ある種絶対の自信(思いこみ)があったので強烈なアッパーを食らった心境であった。もちろん何事も100%はなく、1例だけ癌になったからといって、EBM的にいえば鍼灸治療が癌の予防にならないとは全くいえないであるが、ショックはショックである。鍼灸治療の予防効果を研究するには、当然のごとく前向きに無作為に分けた鍼灸治療群と鍼灸無治療群を何年か観察して癌の発症率及び癌の死亡率を比較してみて初めてわかることであるので、冷静になればまだたった1例じゃないかということではあるが。
 かの患者は、手術で胃を2/3摘出し、D1(注3)の郭清術を行って退院した後、1ヶ月半のブランクだけで又週1回の鍼灸治療を再開して経過良好である。患者は郭清術を希望しなかったのであるが、1群リンパ節に1つだけ転移が見つかったために行ったということである。また、抗癌剤や放射線治療は一切行っていない。手術前に手術のことで相談があり、私の意見を申し上げて、主治医にぶつけてみて反応を見て患者さん自身が判断するということことにしたのである。主治医はあっさりと患者さんの要求を郭清術の除いて受け入れてくれたのである。患者によれば、当時は役員になれるかどうか(本人はあまり気乗りしてなかった)で相当の精神的ストレスと過労動であったということであるが、癌ということで役員にはなれなかったが、退職して悠々自適で趣味に興じる楽しい生活を送っている。
 いずれにしても、「鍼灸治療で癌を確実に予防できる」と私はいえなくなったのであるが、鍼灸で癌を予防できると信じて来院している患者さんは意外と多い。もちろん、そのほとんどはご自身の鍼灸治療体験の中から、すなわち「体調が良くなった」、「風邪を引き難くなった」などの状況証拠から「癌にもならないのではないか」と考えられたと思うが、私との会話の中で私がそのようなことをしばしば言って「刷り込んでいる:imprintling」可能性は否定できない(カリスマ性による認知バイアス)。
 もう2例ご紹介する。
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<症例45>男性 80歳 170cm 50kg 体重変動無し 喫煙せず アルコール少し
 20年前より肘痛やら腰痛などで鍼灸治療を受診したりしなかったりで来院時は週1~2回の治療を受け、来ない時は半年~1年以上受診ない状態であったが、胃癌が発見された。しかし高齢ということでそのままにして、本人にも告知していない。
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<症例46>男性 90歳 158cm 48kg 体重変動無し 喫煙無し アルコールほんの少し
 10年ほど前に鍼灸治療を受診していたが、数年のブランクがあり2年前より週1~2回の治療を再開する。しかし90歳になる頃に胃にポリープがあるということでOPするという。
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 症例45も胃のポリープということであったが、奥様より癌であることを知らされる。しかし、その後月1~2度の鍼灸治療を継続し、6年経った86歳の今も状態は良好で進行せずにいる。
 症例46はご子息が二人共に米国の第一線で活躍している医師ということで、お一人は今日本にいて腰痛で当院に来院しており、そのご子息に、胃のポリープでOPしないでしょう、胃癌ですか?とお聞きしたところ、そうだということだった。90歳にもなれば癌の一つや二つあってもあまり問題にならないのではないかと思い、手術は高齢だし止めた方が良いのではないかと、一言だけ申し上げたが、充分悩んだ末の結論ということで、それ以上は申し上げられなかった。
 この二つの症例は、週1回の治療を継続しているわけではないが、鍼灸治療を受診している患者である。症例45は、しょっちゅう勉強会や講演会に出て、ダンスも頑張っていて,夫婦での高齢ダンス世界一を目指すと張り切っているし、症例46も90歳とはいえ、現役の会社会長の職務をこなし、しょっちゅう米国に行ったりして元気そのものなので、ご子息が医師でなければもう少し強くいうところである。しかし、この二つの症例も胸中は何かすっきりしない。鍼灸治療がうまくいっているのかどうかがはっきりしないからである。
<次号までの宿題>
 読者諸兄の頭の体操のために次号までに問題を出しますので、ご検討下さい。
<症例47> 女性 40歳 165cm 53kg 喫煙無し お酒程々 初診H18/5/30
 3年前に引っ越しをしたが、台所の高さが低いのが原因か徐々に腰痛になってきた。2年半前より立ち仕事の仕事を始めたこともあって段々と腰痛を起こす回数と程度も強くなってきて、パップ剤を張って治っていたのが治らなくなり、接骨院にも通院するが一時的に良いだけ。1ヶ月間仕事を休んで良くなったが、仕事に復帰したら又痛くなった。1ヶ月前からは激痛になり、脂汗が出て息苦しくなるほどである。この1ヶ月は痛みの頻度及び程度共に悪化してきている。生理痛は段々辛くなってきている。動作によって痛みが増悪することはないが痛みのために寝付けないことがある。しかし、寝付いたら朝まで寝られる。下肢へのしびれはない。整形外科に受診するも湿布をもらうだけであるが湿布を貼ると少し楽になるので湿布がないと不安になるが、最近尿の出が悪いように思え、湿布のせいかとも思う。接骨院では神経を圧迫しているといわれた。腰痛とストレスのために食欲が低下し、昨年の1年間で8kg体重が減った。出産は3人。子宮筋腫がある。6年前に右足jを捻挫した。帝王切開の手術の他特に既往無し。食欲・睡眠は不良で、便秘。SLR(-)、双SLR(-)、k-ボンネ(-)、股関節内外旋テスト(-)
 この症例の病態を推測してください。

注1:ブリンクマン・インデックス:喫煙による肺癌の発症リスクを簡単に計算する方法で、一日の本数×喫煙継続年数で表します。例えば1日20本で20年ならば400になります。この数値が200を超えると少し発症率が高まり、400を超えるとかなり高くなって、600を超えると相当の危険域になるといわれてます。
注2:コンプライアンス:一般的には法律を遵守するということで、決められた法律・規則を正しく守るということですが、医療の世界では「医師の指示・指導、特に服薬の指示を守る」ことに使われてます。コンプライアンスがよいということは医師の指示通りに服薬している、ということになります。鍼灸治療では週1回来院してください、という指示を守るとか、きちんと指導された運動療法や食事療法をしているということに使われます。
注3:D1郭清術:胃の近傍にあるリンパ節(1群リンパ節)のみを郭清(dissection:全て取り去る)する手術で、日本ではもっと遠位にある2群リンパ節まで郭清するD2郭清術が定式となっている。D2の方が広範囲に郭清するために根治性は高い可能性はあるが、手術時間(麻酔量)や出血量が増加すること、膵液瘻等の合併症や免疫抵抗力の減退を招く確率が高くなり国際的にはあまり行われてない2)。

1)小川卓良編「患者からのこんな質問Q&A:鍼灸篇」医道の日本社1998
2)近藤 誠「患者よ、がんと闘うな」文藝春秋社 1996

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