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症例から学ぶ悪性疾患の鑑別法-その18

・・・・キーワード10「癌の可能性が高い。貴方ならどうする?-2」・・・・
 前回は悪性疾患の可能性が高い患者を目の前にした時の鍼灸師の対応について考えてみたが、今回はその2である。
<前号での宿題>
 <症例35> 28歳 男性 昭和55年(大串重吉氏の症例)
某内科より腰痛治療をとの紹介で来院。父親も兄も癌で死亡したとのこと。甲状腺の手術の既往があり、腰痛の他に全身が何となくおかしいという。外見は筋肉質でスポーツマンらしい良い体をしている。しかし診察してみると内臓等全体的に健康とは云えない感じがする。これは私の直感的な感じであり具体的に説明することはできない。月に1回ほど来院した。しかし翌年の5月から排便時の出血が止まない。精査を薦めるが本人は癌を懸念し、行かない。やっと8月末に検査に行った。
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 この症例に対して、大串氏は「本人は内痔周辺の炎症だけだったと診断書を見せる。(スッキリしない、安心だけど)癌の発生の前兆ではないかと心配しているが治療続けているのでその程度で治まっているのか?私にも解らない。鍼灸と癌の関係作用、効用、総て解らない事ばかり」と述べている。
 読者はこの症例で直腸癌はもとより、クローン病や潰瘍性大腸炎など様々な病気を想定されたと思う。それが内痔核の炎症だけだった、というのは詐欺みたいと思われるかもしれない。鍼灸師、特に臨床経験豊富な鍼灸師が診て、客観的には説明できないけれども、いわゆる望診・切診などで尋常でないと思われる症例は何かあるのが普通である。その直感は正しいことが多く、その直感を大切にすることは非客観的・非科学的であると決して卑下してはならない。
 ちょっと話題が逸れるが、私は大学で管理工学(経営工学ともいう)という学問を学んだ。これは会社経営・生産管理・製造現場などのあらゆる場面で経験と直感だけで判断されてきたことを数学や様々な科学を応用しコンピューターなどを駆使して客観的・科学的に分析しようという学問で、実は第二次世界大戦で米国において戦争に応用するために急速に発展した学問である(だから日本は負けた?)。しかし、私の恩師は口を酸っぱくして「科学的な結論も大事だが、勘と経験を大事にしろ」と我々に教えてきた。一見これは重大な矛盾である。勘と経験だけでは駄目だから科学的に分析しようというのに、「科学的な分析結果は重要だけど勘と経験を大事にしろ」という。要するに人間及び人間と機械が混じったシステムを幾ら科学的に分析してもその結果通りにならず、完全に分析できないから、その結果をふまえて勘と経験を駆使しろということなのである。
 本題に戻る。経験豊富な鍼灸師が判断して「悪性じゃないか」という直感は当たることが多いが、もちろんはずれることもある。私が尊敬する鍼灸師の一人である故島田隆司氏は以前非常に顔色が悪く、我々はもちろん鍼灸界の大家の方々からも「島田先生は癌で長生きができない」と噂されていた。ところがすっかり元気になられて大活躍するわけだが、後でお聞きしたら痔瘻が悪化していて大変辛い思いをされていたということだった。しかし、1日800壮の灸を1・2週間すえてすっかり完治したということで、大串氏のこの症例もそういうことかもしれないが、医学・診断・治療に完璧・100%は無いので己の直感は堂々と信じた方が良いと思われる。
 大串氏は「癌とは手の届かぬ存在でありながら興味津々と眺める。癌患者とは、その経絡を思うと及ばず乍ら陰から祈るだけの状態で何如んとも施す業もないのが今の現状の様です。痛み苦しむ末路を見て何んとかならないものか?それを解決するのが医療人の務めではないか!大きな事を考え男気出しても手も足も出せない」と締めくくられた。
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<症例36>女性 55歳158cm 55kg
 進行した乳癌で腋窩リンパ節にも転移した癌(計6個)があり一つは非常に大きくなっている。7ヶ月前から胸のしこりに気がついたがほっといて、3ヶ月後に病院で検査をしてその1ヶ月後に乳癌と確定された。職業は鍼灸師で西洋医学を拒否して、マイナスイオン・カーボン光線治療や鮫の軟骨、霊芝、ウコン、Vit.C等のサプリメントで対応してきたが治らないので、鍼灸治療を受けようと思い同級生で学校の講師をしている先生に相談して来院した。来院時は原発癌は上下11.5cm、左右14.2cmという大きさで、転移癌もそれと劣らずの大きさであった。
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 明らかな進行癌である。しかし、全身状態はさほど悪化してないし、むしろ若干肥満気味でもあった。西洋医学を拒否してきたということで、免疫力も低下してない可能性が大なのでひょっとしたら治せるのかもしれないという気持ちもあった。教員養成である専攻科の臨床実習の患者さんなので学生諸君みんなとチームを組んで毎日治療しようと思ったが、ご本人がストレスになるので毎日の治療は拒否され、できるだけということで週2・3回の治療を行うことになった。しかし、西洋医学を拒否してきたものの、鍼灸治療も信じ切れず中途半端であり、大きな不安ばかり抱えている患者さんであったので、これは治癒は無理だなと早い時期に私はあきらめてしまった。しかし、だからといって西洋医学に委ねてみても「今更何だ」と多分拒否されるであろうし、明らかな転移があるので治癒は所詮無理であったろう。また、様々な代替医療を行うことで有名なO病院にも通院している(治療はほとんどしていない)ので、西洋医学的な判断はそちらで任せるとして、かくなる故は鍼灸治療で頑張ってみるしかない、ということで治療を開始した。しかし、癌は一向に小さくならず、大きくなる一方であり、患者さんも週2・3回どころかそれは最初だけで週に1回くらいしか見えない有様だった。新しい免疫学・治療を提唱して有名なA先生が学校に講演でお見えになって、診察を受け「大丈夫、治ります。頑張りましょう」という激励を受けて多少は明るくはなったが、自分の病気や仕事のストレスだけでなく障害を持つ息子さんの問題もあって、心の不安・葛藤はかなりのものがあったと推察される。
 この症例は、告知されている上に明らかに「手遅れ」であり、本人の希望で鍼灸治療を行ったのであるから私自身はそれなりに気が楽ではあった。しかし、裏では何で私がこの患者さんに鍼灸治療をしているのか、という疑問や不信を持つ学生も少なからずあったと聞く。「癌に鍼治療」は若い人にも禁忌に見えるのだろうが、西洋医学の治療の限界を知っていればこそ、西洋医学では緩和ケアしかないのが現状であることを知っていればこそ患者の意志を尊重して戦いに行くのは医療人として当然のことだと思う。とはいっても力不足は歴然としており、結局説得して通院していたO病院に入院していただき緩和ケアに委ね、その後亡くなった。実は、この症例は癌に戦いに行き始めて初めて挫折した症例であった。それまでは治癒した症例はもちろんのこと、結局亡くなったにしろ、鍼灸治療をするに当たって様々な阻害要因があり、鍼灸治療だけに限っていえばかなりの成果があったのでそれなりに勝利感があったのであるが、この症例は全くの敗北であった。しかし、4ヶ月前は直径2.5cmであったのが、初診時点で標記の大きさにまで拡大している、ということは直径で4倍以上であるから体積は少なく見積もっても4×4×4=64倍ということで2倍になるダブリング期間は2の6乗=64なので4ヶ月×30日/6=20日という進行が滅茶苦茶早い癌ということだったので、所詮難しかったのであろう。この計算が正しければ、鍼灸治療を行った数ヶ月では大きくはなったがこんな進行ではなかったので、進行速度を遅くしたとは言えるのであるが、くい止められなかったので所詮「負け惜しみ」である。
 この症例は、患者さん自身が納得ずくだったのでやりやすかったが、このシリーズのその11で紹介した症例20の様に患者さん自身が「癌であるといわれること」を恐れて、検査にも行くことができずにびくびくしている時には大変である1)。症例20の時は乳癌の疑いで触診できる部位であり、鍼灸師でも癌の触診の経験が少なからずあれば、グレーゾーンの診断はできなくても明らかな症例は判断できる。そしてこの症例20はかなり大きく、症例36程でないにしても専門医でない私でも既に手遅れ状態だと判断できた。
 さて、この症例36も症例20も多分何をしても治らないだろうとレベルの患者であった。症例36の方はご本人の意思で鍼灸治療を希望され、治療する方も鍼灸治療で治癒する可能性は0で無いという経験と信念で特段の迷いもなく鍼灸治療をはじめたのであったが、症例20の方は患者自身は癌を恐れているのであって癌であるかわからない状態であり、治療する方は鍼灸治療で癌を治療していくなどとは夢にも思ってない時の話であったから、早く専門医に送ろうという考えであったので患者さんにどう話を持っていって良いか躊躇はするけれども迷いはなかった(その11に詳細を記述)。
 今、症例20の様な患者さんに出会ったらどうするのか?がこれからのテーマの一つである。
 シリーズのその3で紹介した症例8は、半年前から右背部から肩関節にかけての痛みで来院し、階段状の悪化があったことと望診で生気が乏しいことから一目で肺癌とわかった症例であった2)。古くからの患者さんでもあったから、正直に疑診名を告げて、「肺癌の可能性が高いと思われる患者さんに鍼灸治療を続けることはできません。肺癌ではないということがはっきりした段階で鍼灸治療をしますので、病院で検査を受けて下さい」と申し上げたところ素直に「わかった検査に行く」と仰っていただけたのでよかった症例でしたが、残念ながら西洋医学では手遅れで数ヶ月後に亡くなってしまった。その3では当時は鍼灸治療で癌を治そうなどとは考えなかったので西洋医学に委ねてしまったが「古くからの患者さんだからこそ、現在では同じ状況であったら別の選択肢を考えると思う」と書いた。ではどんな選択肢を考えるのであろうか。
 第一の選択肢は、このときの対応のように鍼灸治療を放棄して専門医にいっていただくことであり、第二の選択肢は西洋医学との併療がある。そして、第三の選択肢は鍼灸単独治療である。何れの場合も患者さんが決定することであるが、第一の選択肢は治療放棄だから鍼灸師が決定するといっても良い。もちろんその場合でも西洋医学を拒否して鍼灸治療に全てを委ねるという患者サイドからの選択肢は残っているが。症例36がそれに近い。
 症例36の解説で「西洋医学に委ねてみても「今更何だ」と多分拒否されるであろう」と書いたが、実際に「今なら大丈夫だから即刻手術をしましょう」という医師の診断を無視して断食や食養で有名なM会で「治る」という言葉を信じてそちらで半年治療したが悪くなる一方なので私に往診を依頼した患者がいた。どこの癌だか忘れてしまったが、拝見したところ3ヶ月くらいしか持たないだろうと直感した患者で、「即刻病院に行くべきだ」とお伝えしたところ、以前診断受けた病院に行ったら簡単に診察してくれたが「もう手遅れだし、今更なんだ」ということで手術も何も全て拒否されたということだった。患者さんや家族の言葉では「診療拒否」であったが実際には当時では手の施しようがなかったので、医師はそう仰ったのだと思うが多分気持ちは当然「今更なんだ」があって、言葉の端はしに出ていたのだろうと推測する。今なら「緩和ケア」の対象として延命治療を施されるのだろうと思われるが、症例36の患者さんは「緩和ケア」ではなく治りたかったのである。しかし、M会は医師が主催しているのに、と憤りを感じた。以前お話を聞いたり見学にいったことがあり、好印象を持っていただけにショックであった。しかし色々情報を集めてみると、皆さん初診時にいろいろな健康器具やサプリメントを買わされて10数万円支払ったということがわかり、「代替医療=商業主義」という批判通りだったのでがっかりした。
<次号までの宿題>
 読者諸兄の頭の体操のために次号までに問題を出しますので、ご検討下さい。この症例は大串氏と同様に千葉大会での「癌と鍼灸」シンポで指定発言をした斎藤晴香氏の症例であります。この症例での鍼灸師としての対応についてお考え下さい。
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<症例37>女性 67歳 156cm 62kg
 10ヶ月前より下腿痛を主訴として来院。鍼灸治療を月に1~2回のペースで半年間行っていた。後でわかったことだが、この頃既に10日に1度くらいでやっと排便できるといったひどい便秘に悩み、腹が張ることが多く本人が異常を感じていたようで、鍼灸治療後は便通が良くなると話していたそうである。その後、家族の都合でしばらく来院できず、4ヶ月後に予約があり、その朝吐瀉し、当院の治療はキャンセル。近くの内科を受診し腸イレウスと診断され、別の医療機関を紹介、緊急手術。そこで直腸癌が確認されたが、大き過ぎるため切除できず、3週間後に再度開腹手術をするも、やはり癌を取ることなく縫合。その後40度近い高熱が続き、MRSA に感染したことを病院側から知らされる。1ヶ月ほど高熱が引かないまま、食事も入らず、体力が落ち、歩くこともままならない状態で、当方に往診を依頼された。

1)『症例から学ぶ悪性疾患の鑑別法-その11』小川卓良 医道の日本誌 巻 号
2)『症例から学ぶ悪性疾患の鑑別法-その3』小川卓良 医道の日本誌 巻 号

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